アジアの映画祭・四都物語
釜山〜福岡〜クアラルンプール〜東京

The Festivals for Asian Films
Pusan - Fukuoka - Kuala Lumpur - Tokyo


まだ「韓流」などという言葉もない頃、韓国映画を愛好していた人々がよく出かけて行ったのがこの釜山国際映画祭。その熱っぽさや活気については、当時から何かと日本にも伝えられていました。まるはこさんが当時の状況を語ってくれます。


 

 「平和な時代」の釜山国際映画祭

 PIFF in the "Good Old Days"

 まるはこ

 by Maruhako

 

 

 「釜山国際映画祭」は1996年に第1回が開催されました。ちょうど韓国映画界に新しい力が台頭し始めた頃ですから、韓国映画がいかに隆盛したかは「釜山国際映画祭」の歩みを見ればわかると言ってもいいでしょう。

 私は1997年の第2回から参加し、その後、1999年と2000年にも行きました。なんで1998年に行かなかったのだろうと思ったら、この年は台北で新しい映画祭が始まったので、そちらに行ってたのでした。「台北電影節」もいい映画祭だったのですが、当時の陳水扁台北市長の肝入りで始まったこの映画祭は、翌年は陳水扁が市長選に敗れたために、映画祭のスタッフもごっそり入れ替わり、魅力のない映画祭になってしまいました。一方で「釜山国際映画祭」は今や押しも押されぬアジア最大の映画祭になっています。

 最近の事情は行ってないのでわかりません。私が参加していた頃とはシステムも会場も変わっている部分が多く、これから行く人の参考にはあまりならないとは思いますが、楽しかった映画祭の思い出を綴らせて下さい。

 私が2回目に行った、1999年のことを中心に書いてみようと思います。

 

            *          *

 

 夕刻に博多港を発った「かめりあ」は、翌朝9時前には釜山港に着く。時間に余裕があるので、会場のある南浦洞まで歩いて行くことにする。しかし、なかなか着かない。それどころか、どんどん遠ざかっていっているように思えるのは気のせいだろうか?  気のせいではなかった(涙)。

 結局、昼過ぎに会場に到着。広場に設置されたステージに篠山紀信がいた。と思ったのは中国の張元監督だった。プログラムを見ると、『クレージー・イングリッシュ』が上映されていたのか。真っ直ぐ会場に着いていれば観られたと思うと悔しい。いや、過ぎたことはもういい。とりあえず、この日のチケットを入手しないといけない。テヨン劇場の窓口に列ができているので、ここで買えるのだろう。自分のと、後で落ち合うはずの友人のと二人分だ。なかなか列が短くならなくてやきもきするが、なんとかチケットはゲットできた。しかし、上映はもう始まっている。暗くなった映画館に忍び込む。

 韓国の若手監督の短篇集だ。もちろん、何の予備知識もない。最初の作品は「審判(ジャッジメント)」、ブラックユーモアの効いた佳作だ。短篇集というプログラムは2年前も観ているが、はっきり言って退屈したものだ。それがどうだ、今年はどれもそこそこおもしろいのだ。こういう短篇は日本で上映される機会は少ないので、狙い目だ。チケットも取りやすいし。

 

 この「審判」を監督したパク・チャヌク、1年も経たないうちに大化けしてしまった。そう、『JSA』の監督だったのだ。翌年の映画祭ではちょうど一般上映されていたので、帰る間際に観ようと決めていた。上映開始まで少し時間があったので裏道を散策していると、薄汚い成人映画館があった。おっ、そこでは『美人』(邦題:寵愛)をやってるではないか。『JSA』は間違いなく日本で公開されるが、これはわからない。妖しい映画館にも潜入したいという好奇心もある。結局、『JSA』が負けて、物置きのような映画館で『美人』を観ることになった。

 

 おっと、話を元に戻そう。次は名古屋のS氏と『イ・ジェスの乱』を観ることになっていたのだ。買ったチケットを渡さないといけないのだが、なかなか現れない。何かトラブルでもあったのだろうか? 上映開始時刻を5分過ぎたので、彼を見捨てて中に入る。友情よりシム・ウナを選んだのだ。

 実は、ちょっと目を離したすきに、S氏は映画館の中に入り、そこで私を待っていたらしい。私はというと、来ぬ人を外で待っていたのだ。なんというすれ違い。『接続』を演じてしまった。

 

 ここで2年前に遡る。私が初めてS氏と会ったのがちょうどこの場所だった。奇しくも、初めて一緒に観た映画が『接続』だった。パソコン通信華やかな時代で、映画祭で会おうと話し合っていたのだ。ほかの仲間と一緒にチャガルチの市場で活きのいい魚をさばいてもらい、焼酎を飲みながら歓談したのは懐かしい思い出だ。じゃあと別れて帰ろうとすると、同じホテルであることが判明。なんと、同じ階の隣り合った部屋に泊まっていたのだ。示し合わせたわけではないのに。

 

 S氏の観る予定のチケットを渡してホテルに帰る。2年前と同じホテルだ。スルメを肴にビールを飲んでからS氏を迎えに行く。どこで聞きつけたか、東京のHさんが別のホテルに泊まっているらしいから襲いに行こうと言う。Hさんも映画祭好きで、いずみさのや福岡や東京で会っている。映画祭は映画を観るだけでなく、出会いの場でもあるのだ。ロビーで夜中まで話し込む。

 翌朝はチケット売り場の見えるハンバーガーショップでS氏と作戦会議。まずは観る映画を決めて当日券を買わないといけない。「釜山映画祭」では、早朝にデイリーニュースが配布される。カラー写真満載の8頁の立派なものだ。スタッフが徹夜で作っているのだろう。これに前日のレポートと当日のプログラムが掲載されている。

 1本目は台湾の野球もの、2本目はアジアの傑作短篇に決めた。詳しい内容はわからないので、当たりかはずれかは賭けのようなものだ。

 『紅葉野球団』はドキュメンタリーだった。台湾の原住民の野球チームがリトルリーグの決勝で日本のチームを破って優勝したことがあるのだが、なぜかその事実が埋もれてしまっている。その謎を解こうと女性監督が当時の選手だった人に取材する作品。監督は蕭菊貞、若くてきれいな人だったのにびっくり。ティーチインの後にサインしてもらった。

 アジアの短篇は思っていたのとは別のプログラムだった(我々の勘違い)。イラン映画と日本映画『青〜chong』。後に一般公開されることになった『青〜chong』は文句なくおもしろくて、思わぬ収穫だった。李相日監督はティーチインでたどたどしいながらも韓国語で応戦していて好感が持てた。

 私はここでカラータイマーが点滅、帰りの船に乗らないといけない。新たに到着した仲間たちと簡単な挨拶を交わして埠頭へ急ぐ。2日だけの短い日程ながらも充実した時間を過ごすことができた。

 

追記:

 この原稿を書くにあたって、当時の資料を古い地層から発掘しました。「釜山」のデイリーニュースを見て、その立派さに改めて驚いています。韓国には週間の映画情報誌が何種類かあり、その出版社それぞれが競うように20頁以上の冊子になったのを発行しているのですね。映画の紹介部分は事前に用意しているのでしょうが、映画祭の様子を伝える部分も充実してて、これを翌朝間に合うように仕上げるのは大変な作業だと思います。それが映画祭期間中毎日発行されるのですから、すごいです。韓国の映画にかける金と情熱には目を見張るものがあります。日本が逆立ちしてもかなわないわけだ。

 宣伝用に配布されるパンフレットを見ると、「東京国際」でもこういうのを作ってくれると便利なのになぁ、と切に思います。「釜山」では新作以外にも、「回顧展」も毎年必ずやってます。キム・ギヨン監督特集とか「春香伝」特集とか。決して新しいものだけ追いかけているわけではないのですね。

 


 まるはこ

 韓国の映画事情とくればこの人…と、前にお会いした時にあれほど「僕は韓国映画専門じゃないです」と言われていながらまた頼んでしまいました。

 博物館と隣の動物園

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