アジアの映画祭・四都物語
釜山〜福岡〜クアラルンプール〜東京

The Festivals for Asian Films
Pusan - Fukuoka - Kuala Lumpur - Tokyo


マレーシア在住のブロガーである大谷雅憲さんのおかげで、僕は「細い目」という優れた作品と出会う事が出来ました。そして再びアジア太平洋映画祭という、実に興味深いテーマを投げかけていただきました。大谷さんからのレポートをご覧ください。


 

 それに比べて日本映画はどうだ

 アジア太平洋映画祭に見るアジア映画の“いま”

 The Trend of the 50th Asia Pacific Film Festival

 大谷 雅憲

 by Masanori Otani

 

 

 9月のある日、職場に向うタクシーから流れているラジオからジャッキー・チェンの声が聞こえてきた。かなりブロークンな英語で、こんなことを話していた。

「僕はマレーシアが好きだよ。だって緑がいっぱいあるからね。僕は緑が大好きなんだ。シンガポールから車を運転してきたことがあるけど、よかったね。今は忙しくてドライブもできないけどさ。アメリカ、中国、香港、マレーシア、日本、そしてまたアメリカ。世界中動き回って、休みなしさ。でもね、僕は仕事が好きだからさ。オフの時なんか逆に不安になって仕事のことを考えてしまうよ。ユーノウ」。

 そんなに忙しい彼が、何をしにマレーシアにきて、ラジオで話してるんだろうと不思議に思いながらタクシーを降りた。

 それからしばらくして日系情報誌の記事を読んで謎が解けた。マレーシアの首都クアラルンプールで、第50回アジア太平洋映画祭(APFF)が開催されていたのだ。期間は9月28日から10月1日まで。ジャッキー・チェンはこの映画祭に参加していたのだった。

 アジア太平洋映画祭といえば、マレーシア映画『セペッ』(邦題『細い目』)が、映画とは関係のない所で中傷に会い、心身ともに傷ついた監督が出品を辞退し、東京国際映画祭への出品に代えたといういわくつきのもの。中傷の内容は、予想通り、「マレー人の女性が中国系マレーシア人の男性と恋愛するなんて許せない」というものだった。多民族国家マレーシアでも、この手のテーマはタブーに近かった。でも、だからこそマレーシア人だけでなく日本人にも新鮮な感動を与えたのだろう。どこにでも偏狭な価値観でしか物事を見れない輩はいるものだ。

 

 日系情報誌『日馬プレス』のニュースコラムの見出しは「審査員たちはがっかり」。コラムニスト氏の取材によると、審査員のコメントとして、日本映画に期待していたのに「他の作品も一緒で、(日本作品には)本当にがっかりした」「あんなにお金を使って何をやっているんだ」というコメントがあった。日本の映画関係者もメディアも欧米の映画祭にばかり目が向いていて、アジア太平洋映画祭に出品して受賞しても「ハクがつかない」と思われているのではとコラムニスト氏は指摘していた。

 日本から出品された作品は、『戦国自衛隊1549』『ビートキッズ』『電車男』の計3本。どの作品も見たことがないので、審査員たちの評価が妥当なのかどうか、僕にはわからない。日本からこの3作が出品されたことを、日本の映画ファンの方たちはどのように評価するのか、興味があって映画館主Fさんが主宰するHPの掲示板に記事の内容を投稿することにした。

 すると、映画館主Fさんからメールが来た。この映画祭についてのレポートを書くようにという指示だ。だって、映画祭はとっくに終わっていますよ。そんな泣き言を聞いてくれそうな相手ではないので、さっそくわかる範囲で調べてみることにした。

 

 アジア太平洋映画祭は、18カ国・地域の動画制作者連盟の認定を受け、加盟国の首都や主要都市を巡回して開催されている。第一回(1954年)の開催は東京。今回は、11カ国・地域から46作品(短編・ドキュメンタリー12作品、アニメーション映画7作品を含む)が出品された。

 開幕式は国立劇場、閉会式と授賞式は世界貿易センタービルで行なわれた。

 マレーシアのライス・ヤティム芸術文化遺跡相の開幕宣言によって開幕し、49人のダンサーが過去49回の映画祭の参加国・地域の民族衣裳を着て踊った。域内の映画関係者400人が参加。前述のジャッキー・チェンを始め、日本からはゴジラ・シリーズに出演している女優、大沢さやかが参加した。

 マレーシアのバダウィ首相のスピーチの後に、授賞式がありました。

 

 受賞作品は以下の通り

最優秀作品賞 「ブラザーフッド」韓国

最優秀監督賞  カン・ジェギュ「ブラザーフッド」韓国

最優秀主演男優賞 珠鉉(ジョー・ヒュン)「ファミリー」韓国

最優秀主演女優賞 ティアラ・ジャックリーナ「PUTERI GUNUNG LEDANG 」

(英題「PRINCESS OF MOUNT LEDANG」)マレーシア

最優秀助演男優賞 黄秋生(アンソニー・ウォン)「頭文字D」香港

最優秀助演女優賞 リマ・ムラティ「バイオレット」インドネシア

最優秀脚本賞   林正盛「月光下我走過」(英題THE MOON ALSO RISE)台湾

最優秀美術賞 「戦国自衛隊1549」日本

最優秀音楽賞 「Qaisy & Laila」マレーシア

最優秀特殊効果賞 「シャッター」タイ

最優秀撮影賞   「Yves Cape」不明

最優秀編集賞    Yoda K.Koesprato「Janji Joni」(英題PROMISE)インドネシア

最優秀アニメ賞  「紅孩兒決戦火焔山」(英題FIRE BALL)台湾

最優秀短編・記録映画賞 「Pua」マレーシア

審査員特別賞    楊貴媚(ヤン ・クイメイ ) 成龍(ジャッキー・チェン)

 

 香港からは、ジャッキー・チェン、ダニエル・ウー主演の『香港国際警察』、ジェイ・チュウ主演の『頭文字D』、ジョシー・ホー主演の『胡蝶』が出品。ジャッキー・チェンが審査員特別賞を受賞した他は、『頭文字D』のアンソニー・ウォンが最優秀助演男優賞を受賞しただけの香港映画界。「この賞は香港の人たちのものです。韓国映画に押されてばっかりだった香港映画に、面子を取り戻しました」というアンソニー・ウォンのコメントが、最近のアジア映画の動向を象徴していた。

 マレーシアでも韓国映画や韓国ドラマの人気は高い。マレーシアのVCDとDVDを販売する店では、かつては日本のテレビドラマが独立したコーナーを持っていた。それが、気がつくと日本コーナーに韓国映画やテレビドラマが進出してきて、今では韓国コーナーの片隅に日本の作品が申し訳程度にある。テレビでもそうだ。韓国の映画やテレビドラマだけでなく、マレーシアの旅行番組にもスポンサーとして韓国ロケをしている。そうして潜在需要を掘り起こして、数多くの魅力的なパック・ツアーを打ち出す。そのような国を挙げての文化戦略が正しいかどうかはさておき、それぐらい本気になっているということを忘れてはいけないだろう。日本にいては気づきにくいかもしれないが、アジアの文化市場は成熟しつつある。今後、映画もテレビも音楽もアジアという市場をにらまないと成立しにくくなるのではないだろうか。香港映画界が、アジア太平洋映画祭に大御所ジャッキー・チェンを送りこんだのも、そうした危機感の裏返しだろう。

 それに比べて日本映画はどうか。日本映画自体の質について僕は語る立場にないが、日馬プレスの記事に出てくる審査員のコメントは、日本に期待しているがゆえの失望感を表してはいないだろうか。期待されているうちが華なんだけどな。

 腕を組みながらそんなことをつらつらと考えていると、映画館主F氏からまたメールがあった。

 

 先ほどネットで検索しましたら、次のような記事が見つかりました。東京の・・・と思っていたらクアラルンプールの国立博物館の記事です。

 50th Anniversary of Asia Pacific Film Festival Exhibition

 国立博物館 10月28日まで

 28日・・・つまり今日までです!そこで大谷さんにはあまりにムチャとは思いますが、もし本日お時間がおありでしたら・・・で結構ですが、この展示を見に行っていただけませんでしょうか?

 

 ムチャである。どれぐらいムチャかというと、メールを読んだのが28日の午後4時。国立博物館は午後6時閉館である。しかも、10月28日という日は、たとえていうなら盆と正月が一気に来たようなマレーシア国民の大祝日の前日。つまり、イスラム教のラマダン(断食月)明けのハリラヤ・プアサとヒンドゥ教の最大の祝日ディパバリが次の週に重なり、そのため28日(金)はいわば仕事納め。町はとてつもない渋滞になる。さらに、平日の4時に仕事を抜け出せなどという依頼はあまりにも非常識きわまりない。しがない塾の教員だがそれでも勤め人の端くれである。重ねて、映画館主F氏とは一面識もなく、浮世の義理もない。このメールは見なかったことにするしかないな、と思いつつなぜだか火がついた。なぜ火がついたのかは自分でもわからないが、おそらく「・・・」に有無を言わせぬものを感じたのだろう。チラリと腕時計を見て、5時半までの授業に間に合うにはどうしたらいいのか、瞬時に逆算する。心はすでにミッション・インポッシブルのトム・クルーズである。「ちょっと席を外します」と同僚に言い捨てて、タクシーに乗り込んだ。

 

 「今日は車が動かないよ、国立博物館までだと1時間はかかるかもしれない」というタクシーの運転手に無理を言って、空いていそうな道をたどって30分で到着。館内はガラガラ。でも、映画祭の特集をやっている気配がない。裏口に出てびっくり。本館ではなくて別館だったのか。入場料を払って損した。

 博物館の裏手に出ると、第50回アジア太平洋映画祭の公式ポスターやら幟やらが飾られてある。そして、別館近くの壁には出品作のポスターが張りめぐらされていた。入り口で記帳するのはいいが、パンフレットも何も置いていない。

 会場にの入り口にトロフィーと公式のカタログが飾ってある。でも、手にとって見ることはできない。会場は、代表的な都市(国)ごとにブースがわかれていて、それぞれの国の映画の紹介がされていて、小さなスクリーンで作品を上映していた。ゆっくり見る間もなく、手あたり次第に写真を撮り、小さな会場を一周回る。一番大きなブースには、マレーシアのスーパースターであるP・ラムリーのコーナーが設置してあった。監督、脚本、主演男優、作詩、作曲、歌などを全てこなすマルチタレントで、民族の異なるマレーシアで最初に国民的なヒーローになった人物。彼の名前を冠した道路まである。

 大急ぎで回ってふと落ち着いて周囲を見回してみると、この会場にいたのは僕だけ。大晦日にあたるこんな日のしかも最終日のこんな時間だからか、それともアジア太平洋映画祭自体が、マレーシアではあまり認知されていないからかは判断できない。ただ、現地の新聞を見ても、小さなコラムで扱われているだけで、写真入りで紙面を大きく飾ることはなかった。映画雑誌やファッション雑誌を眺めても、ハリウッド映画や香港映画の紹介はあっても、この映画祭についての記事を見つけることはできなかった。

 会場を後にするときに、もう一度、記帳されたノートを眺めてみた。記帳者はそれほど多かったわけではない。ただ、僕が記帳したページの上の方に、日本人の名前を見出したのがなぜか印象深かった。


 大谷 雅憲

 たまたまブログを見て知る事となったマレーシア在住の塾教師・大谷さんには、今回またまた無理を言ってご協力いただきました。ご安心ください。もうムチャは申しません。

 マラヤ通信

 http://blogs.yahoo.co.jp/otiani


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