二度とないチャンスだから、とことん描くよ。 

 昔懐かしい映画看板を今に再現する「映画看板師」

 久保 板観さん  1999 / 11 / 07

 MR. BANKAN KUBO  

 

 今年の7月、あきる野映画祭に行った帰りに青梅市の住江町に立ち寄った私は、そこでちょっとビックリするものを発見しました。それは、町中あちこちに貼られた映画の看板。それも、何となくむかし懐かしいタッチで描かれた看板の数々です。これは誰がどんな目的で描いたものなのか。それを探してたどりついたのが、今回ご紹介する映画看板師・久保さんです。(9月11日、青梅市にて取材)


 

映画看板をお描きになられたきっかけは?

久保:なろうと思ったのは13歳の時ですよ、中学1年の時。私の家から100メートルぐらいのとこに映画館がありましてね、そこの看板見ながら通学してたわけですよ。そのうち何となく頭の中に絵が入ってきちゃってね。絵が私に向かって描け描けって言ってるようで。で、鉛筆持ち出したの。そしたら見事描けたんだね、それまで描いたことないのに。

絵そのものに関心なかったんですか?

久保:まったく関心なかった。それから毎日家に帰ってきちゃあ描き始めたよ。どんな紙使ってるか絵の具使ってるかも研究して。で、昭和32年(1957)に中学卒業して、映画の看板描いてるとこに弟子入りしたんだけど、教えてくれないんだよ。半年間ペンキばっか憶えた。で、これじゃ映画の看板描きになれないって辞めて、映画館に私の絵を持っていって材料代だけでいいから描かせてくれないかって…それで入り込めたんだ。

それで現在まで?

久保:いや。ピークは昭和35(1960)年前後で、40年(1965)までの間は3館受け持っていたんだけどね。その時は、3館で最低7枚。1週間しか映画やらないから、1週間で7枚をまた描いとかなきゃならないわけ。それの繰り返しなわけだ。毎日が看板との戦いよ(笑)。最初は汚い小屋借りて看板描いてた。絵を描いてて生活なんて成り立たなかったよ。ただ満足感があった。そして、これでうまくなったら高いお金もらえるだろうなと思ってたら、テレビが出てきて1館消えて、2館やめ、3館めも姿を消したのが昭和48年(1973)。全く短かったよね、映画の全盛期ってのは。これはヤバいなと(笑)、映画の看板から普通の看板屋になったわけだよ。

おやめになってた映画看板をまた始められたのは?

久保:この青梅宿は人がだんだん商店街から遠ざかってて、今から6年ほど前に「青梅アートフェスティバル」ってイベント始めたわけだよ。私はすっかり映画の看板あきらめて、みんなも忘れてたの。で、第3回の時、「大正ロマン」ということで竹久夢二展やりたいということで、私は似顔絵描けるから描いてみようかなということになったわけ。そしたら誉められてね。昔、俺は映画の看板描いてたからって言ったら、今度それ描いてくれよって翌年やることになった。すると20年間も描いてなかったから最初はギコチなかったけど、13歳から30何歳まで描いてた腕が憶えてたんだな。で、今の絵の具じゃつまんねえから昔の泥絵の具使って。そしたら、こりゃー昔の看板だと、写真撮りに来たり、いろんな人が載せてくれたりしてね。

私も一瞬昔のかと思いましたよ。でも「HANA-BI」とかあったから(笑)。

久保:そりゃみんなの目が高いんだよ。絵の具から違うしタッチが違う。昔の看板なんだよ。映画看板はイベントなんだよ、見せ物なんだ。だから価値はないんだよな。芸術とは別なんだよね、職人の仕事だよ。

何か記念館もあるみたいですね。

久保:この記念館つくってくれた人も看板屋さんなんだよ。手で描かないコンピュータでつくる看板屋さん。この人がお金儲けじゃないことをやりたいと始めてくれた。「風と共に去りぬ」とか「カサブランカ」「東京物語」とか飾ってあるよ。でも、これ道楽でやってるからちっともお金にならない(笑)。でもお金に換えられないものってずいぶん返ってきているからね。あんただって、金のこと考えたらやってられないだろ、そんなこと(爆笑)?

まぁ、そうですね(笑)。

久保:私もそうなんだよ。ずいぶん出費はしてるけど、普段会えない人に会えるし、とんでもないとこに引っ張り出される(笑)。

不思議な縁もできますね。

久保:そうだね。これもね、7月ロードショーなんだけど、東映がレトロな看板欲しいということで描いた訳だ(大林宣彦監督「あの夏の日」ビジュアルのこと)。これは昔の人じゃないとこの感じは出ないんだ。

しかし、最初看板に引かれたとおっしゃってましたが、映画そのものにはご興味おありだったんですか?

久保:映画とかサーカスとかは大好きだったけど、入れなかった。貧乏だったからね。でも外にいて、その雰囲気は楽しめる。サーカスだったら、すごく賑やかでお祭りみたいで。映画館は看板があってスチール写真があるから、それ見るだけで楽しかった。中に入ってみることは、できなかったんだ。

映画を見れずに外側からうかがっていることが…。

久保:そうね。映画見なくてもその情景が自分の中に入って来ちゃう。外の雰囲気でイメージ沸いてくるわけ。だから、中に入りたかったけど、入ってたら映画ばっか見ちゃってダメだったろうね。見たい見たい、でも見られない。そこで想像力が強くなるわけさ。そこがみんなと違うとこだね。

描く映画のジャンルは何が好きですか?

久保:時代劇だね。一番最初に私の目に焼き付いてきたのが「丹下左膳」。非常にかっこよかったんだな、スチールが。

大河内傳次郎ですね? それ「百萬両の壺」ですか、ひょっとして?

久保:うん、そう。あの映画が始まりですよ。丹下左膳がなかったら、たぶん描かなかったんじゃないか(笑)。だからわかんないもんだよな、人間なんて。今、仕事をやりながら普通の日にやってる。でも、それがまた生き甲斐なんだよな。もう二度と描かないと思っていた映画看板だからね。それが描けるようになって、ちゃんと評価してもらえる。もう二度とないチャンスだから、みなさんがもう見たくねえ!と言うまで(笑)、描いていこうと思ってますよ。

 

(おわり) 

<参考>

「丹下左膳余話 百萬両の壺」(1935年・日活京都)

 監督:山中貞雄/出演:大河内傳次郎、喜代三、宗春太郎

 若くしてこの世を去った天才監督・山中貞雄が遺した作品の、現存する3本のうちの1本。

 今見ても新鮮で面白い。アメリカ映画も真っ青の、モダンでユーモアあふれた作品です。

 

 

(C)1999 Bankan / Fuma's Workshop

 

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