「あきる野映画祭」プロデューサー

  小林 仁氏 緊急インタビュー(前編)  1999 / 06 / 27

 The Interview of MR. JIN KOBAYASHI - PART 1

  (Producer of AKIRUNO FILM FESTIVAL)  

 

去る6月12日、「あきる野映画祭」のプロデューサーを第1回から務められてきた、同映画祭の“顔”、小林 仁氏にインタビューを行うことができました。場所は、昨日プログラムを決めたばかりという映画祭委員のためのスタッフルーム。その雑然とした室内の様子を見ても、間近に迫る映画祭に向けての多忙ぶりがうかがえますが、その中にあって、微塵も疲れを見せない氏の精力的な横顔が印象的。かつて拙いながらも自作8ミリ作品を応募した(もちろん落選しました)私にとっても、感慨深い会見となりました。


まず、こちらの映画祭を始めたきっかけから。

小林:1985年に始まったんですが、まずそのきっかけというのが、当時、五日市町の観光課に大きなイベントやりたいという意志があった。例えば青梅市だったら青梅マラソンってイメージが結びつくものありますよね。五日市でもこれだと言えるようなイベントを模索していたんです。で、何人かの人の口から映画とか面白いねって話が出てきたらしいんです。…まぁ最初は五日市って土地は秋川渓谷が流れてますから、その河原でスクリーン張って映画見せたらどうだろうかっていうような発想が観光課サイドから出てきた。私は当時から役場の職員だったんですが、その頃水道課という全然違う部署にいたんです。でも、私は高校時代からずっと8ミリ映画撮ってて、それで観光課の職員も映画といえば小林に聞いてみればいいやみたいな話になって相談されたんです。ところが、そのうちにポスターを描いてくださってるデザイナーの高橋さんが、「映画祭みたいなかたちでやったほうがいいんじゃないの?」とおっしゃって。

元々は単に1本上映するだけの話だったんですか。

小林:ええ。最初はホントに1本だけ。今、映画祭っていうとすごく氾濫してますけど、当時は今から15年前ですから東京国際映画祭もまだなかった頃で、話をしていくうち、やれば面白いんじゃないかなと。私も役所の立場で話をしていたわけではなかったんで、単に映画好きの、一人の青年(笑)という立場で話をしていたんで、じゃあ映画祭やろうか…ってなことで、あれよあれよという間に。当然、町としては予算組んでないわけですよ。ただ観光課が観光協会の事務局も兼ねていたんで観光協会の主催ということでやろうと、とりあえず1回目をボーンっとぶちあげちゃったんですね。

1回目はまぁ最初なんで、かなりインパクトのある、実験映画とかなかなか見れない映画を上映したんです。だから地元の人はあんまり来なくて、訳わかんない映画やってるよ(笑)、と。「アンダルシアの犬」とか、そんなのばっかし(笑)。実際、お客さん少なかったですけれども、遠方から「ぴあ」とか見て来てくれて。あと、マスコミが凄く取り上げてくれたんですよ。

そんなことで、とりあえずPRにはなった、面白いイベントだなということで、町側としてもこれを町の行事としてずっと続けていこうと、2回目から予算を立てて町の主催になったんです。そうなれば一般の町の人も楽しめるようなものでないといけませんし、2回目からもっとみんながよく知っているような映画を上映するようになったんです。

最初にやったのが、1985年の3月でしたよね?

小林:そう。その次が1986年の7月。だから年度でいうと1年飛び越してるんですけど。

1985年3月の時の、話の立ち上がりはいつ頃のことなんですか?

小林:前の年の11月。そのへんのところが凄いんですよ(笑)。当時の観光課のメインになってやってた人っていうのは、思い立ったらすぐやっちゃうっていうタイプの人なんですよ。だから、今辞めちゃってお店出したり(笑)してるんですけど。で、実際やろうという時になって、人材もないから私が自主映画つくってるグループをスタッフに使って、人件費もほとんどかけないようなかたちでやった。また、さっき話に出たデザイナーの高橋さんが地元で喫茶店やってるんですけど、このお店に来てるお客さんでちょっと映画界と接点を持っておられる方がいて、その方が「手配してあげるよ」と言ってくれたりとか。そんな偶然もあったんですけどね。

そんな感じで短い期間にアッという間にフィルム集めて、最初は16ミリだけでやったんですけど。映写機なんかも図書館にあるやつ借りてきて。ところが、会場に窓があって真っ暗にならないんですよ。暗幕はあるんですけど光がバンバンもれて、とても映画を上映できる状況じゃない。だから、窓の外から黒い紙を全部貼るとかね。まぁ、それは今でも変わってないんですけど(笑)。

フィルム・コンテストはどうして始まったんですか?

小林:1回目終わったときに、メインになってやってる我々スタッフが自主映画つくってるグループだったんで、そういうのが地元にいるんだったら、借りてきた映画だけじゃなくて地元の人がつくってる自主映画なんかも上映したらいいじゃないかという声も、回りの住民の方々から上がってきたんですよ。「何でそういうのやんないの?」って。それじゃあということで、2回目の映画祭、つまり1986年から8ミリの上映始めたんですよ。私の作品ともう一人かなり年輩の方でドキュメンタリー撮られている方の作品、それと元々8ミリから巣立って一般映画の監督になった森田芳光とか大森一樹とか今関あきよし…こういった方々の8ミリ時代の作品、それとメジャーになってからの作品、例えば「ヒポクラテスたち」とか「それから」とか。でも、できればもっといろんな作品を見せてあげたいという思いがあって、そうであれば我々が探すよりも一般公募でコンテスト形式にしちゃったほうが、ということで3回目からは公募形式、コンテストを始めたんですよね。

もう8ミリカメラなんか作られてなかった頃ですよね。そういう時にあえて始められたということが、ユニークだなと思ったんです。

小林:そうですね。こういう媒体がなくなっていいの?っていう抵抗みたいなものはありましたよね。それは今でも全然変わってなくて、一応コンテストにビデオ作品を入れることは考えてないんですよ。フィルムだけ、8ミリ・16ミリに完全限定してて、最終的に8ミリなくなれば、このコンテストはもうやめようと思ってますから。「ぴあ」でも「イメージ・フォーラム」でも8ミリの本数が減ってきたからビデオに切り替えてますけど、うちはビデオやらない。だから、ほしのさんが言うには、たぶんフィルムだけでこだわってるのはここだけじゃないかな、と。

そこが「映画祭」たる所以なわけですね。

小林:やっぱり8ミリじゃなきゃできない表現もありますから。でも、中にはビデオでつくってキネコで8ミリに落として送ってくる人もいるんですよ(笑)。それ駄目とも言えないんだけど(爆笑)。お金もかかるし、質感も悪くなるしねぇ。

もともと、この地域っていうのは自主映画作家の方って多いんですかね?

小林:いや。多くはないと思いますよ。だから、例えばフィルコンで「観光協会賞」って設定しても(あきる野で撮影したショットを含む映画、または、あきる野在住の作家の作品に対する特別表彰のこと)、該当無しの年の方が圧倒的に多いですから。

でも、さっきお店に映画関係の方が来てるとか。

小林:うん。それは訪れる人で、ここに住んでる人じゃないんですよ。ここが好きで、お茶を飲みにだけここへ来るとかね。それこそ黒澤 明監督なんかもお忍びで…。名物のおやきがあるんですよ、ちっちゃいお店でおばちゃんが一人で焼いてるんですけど、それをわざわざ買いに来たりしてたんですよ。

黒澤さんがですか!?

小林:たまに行くと、そこのおばちゃん、こないだ黒澤 明さんって人来たわよって言って。背がおっきいんだねぇなんて言ってね(笑)。

何かここは映画人が集まるような何かがあるんですかね? 湯布院みたいな。

小林:いや、湯布院と比べたら、そんなことはないと思うんですが(笑)。ただ、チラッと来るっていう感覚はあるみたいで。まぁ旅館なんかはみんな日帰りになっちゃうから、お金が落ちないって。落ちるのはゴミばっかり(笑)って言ってましたけど。

フィルコンにレギュラーみたいに出品される方っていらっしゃるんですか?

小林:いらっしゃいますね。一人だけ皆勤賞で最初のときから今年まで1回もとぎれずに出してらっしゃる方もいます。しかも入選しましたね今年は。「サラリーマン物語」っていうフィルムですけど。

今回、規約みたいの見て初めてアレッて気づいたんですが、選考は何本枠っていうので選んでるんじゃなくて、時間枠で選んでるって初めて知りました。…知ってたら私ももっと短いの出しましたよ(笑)。

小林:映画祭の中の一つの枠なんで、どうしてもこの時間帯しかないんでね。1時間半の映画やるんであれば、10分の作品9本もできるということになっちゃうんで。おおむね1時間という規定をだいぶ前からつくったんです。中には1時間半はおおむね1時間に入りますかって質問あるんですけど(笑)。その時よく言うのは、長い作品は確実に不利になりますと。

私もね、戦略がまずかったと(笑)。ようやく10年近く経ってわかりました。

小林:今年から「おおむね」をとってキッチリ1時間以内。私も長すぎてコンテストに出せないという悔しい思いを自分自身してたんで、時間制限はしたくなかったんです。ただ審査する立場になってみると、やっぱり制限はしなくちゃいけない。

8ミリ映画というのはワン・アイディア一発勝負みたいなところありますからね。

小林:ありますね。私もね、8ミリで始まって16ミリやって、その次は16をブロー・アップして35で劇場公開したんです。すると、やっぱり8ミリは20〜30分のものがいいんだなとわかる。

私、小林さんのこと、おそらくはご自分もつくってらっしゃる方だろうなとは思ってたんですよ。

小林:私も「ぴあ」のコンテストとか応募してて、PFFの1回目で入選したんですよ。それが糧になって映画ずっとやってるわけで。それがなかったら続けてないですよね。やっぱりこういうコンテストで入選するなり、グランプリとるなりってことでね、次のステップに行けるって人が出てきてくれればうれしいなという気持ちで続けてるというのはありますね。

私みたいに落ちると、ホームページつくるようになる(笑)。こちらのフィルコンで授賞された方はその後どうなんですか、ご活躍は?

小林:例えば、映像関係の会社で社員として映像撮られてるって人はかなりいるんですよ。で、映画監督っていうようなかたちでやってるっていうと、過去2回グランプリとった宮坂武志さん。彼は去年「大怪獣東京に現る」っていう桃井かおり主演の作品をつくりましてね。この人のグランプリとった「駕篭-KAGO」って作品のも、一時はメジャーで35でリメイクするって話があって、彼も折角五日市でグランプリとったんで、オール五日市ロケでやりたいという話で、僕も協力してあげて、あとはクランクイン待つばかりって時に製作中止になっちゃったんですけど。あとは中江裕司さんって「HEN '88」っていう作品でグランプリとった人なんですが、いまも結構撮ってますよ。

こちらに出品されたり、受賞されたりした人というのは、やはりその後も…。

小林:縁が深くなりますよね。大常連で出してくるたんびに上位に食い込む安田真奈さんって女性の監督がいるんですけど、グランプリか監督賞か何か必ず賞を持ってく。彼女はバリバリのOLさんなんですよ。仕事の方でもかなりのやり手で、いわゆるキャリアウーマンって感じ。その資質が凄いんですよ、僕らが見てもプロの人が見ても。プロをめざしてるわけではないんですけど、プロの仕事が入ってきたりするんです。ドラマの脚本書いたりとか。これも実現しなかったんですけど、松本 恵ちゃんってタレントさん主演で短いプロモーション・ビデオをつくりたいって依頼も来たんですよね。彼女はあきる野で撮りたいっていうんで2人でロケハンして。そしたらタレントさんが急病になって撮れなくなっちゃったんですけど、彼女なんかも奈良に住んでるんですけど、わざわざここで撮りたいって。

でも、ある程度の年齢で映画撮ろうと思うと、体力も根性も要りますよね。

小林:まったくそうですね。だから、よく映画監督の秘訣は?って聞かれると「体力」って(笑)。センスより体力だよって言うんですけども。彼女なんか夜行バスで来て夜行で帰るみたいなね。パワフルですよ。でもそういった意味でね、ここで撮ろうと思ってくれるのはうれしいですよ。だから「観光協会賞」っての設置しているんですよね。それ狙いで来てほしいんですよ。ワン・カットでいいんです。ワン・カット入ってたら対象作品ってなるんですよ。だから、「観光協会賞」狙いで、ワン・カットだけ川の流れでもなんでもいいですから一カ所撮って。でも来れば「ああ、いいとこなんだな」ってロケハンして帰りたくなるはずですから。そうなるといいなっていうんで、観光協会賞ってのができたんです。

「カムバック、サーモン」みたいな(笑)。

小林:そうですね。だからフィルム・コンテストの作家だけじゃなくて、一般の映画作家さんたちもこちらへ来たのをきっかけに、ここで撮ろうかって言ってくれたり。例えば今関あきよし監督が去年かな一昨年かな、「ルーズソックス」って映画を撮ったんですけど、それなんか100パーセントあきる野ロケ。我々がかつてフィルム・コンテスト審査で使ってたお寺を合宿所にして、3週間ぐらいですか短い期間でしたけど、こっちで撮影してましたよ。

(つづく) 

(C)1999 Jin Kobayashi / Fuma's Workshop


小林 仁(こばやし・じん)氏プロフィール

1958年、東京生まれ。高校卒業記念で製作した8ミリ作品「ガラスの切符」が第1回ぴあ自主制作映画展に入選。以来、五日市街役場(現・あきる野市役所)職員として働くかたわら精力的に作家活動を続け、1995年には「風の見える街」を劇場公開。あきる野映画祭(旧・五日市映画祭)では1985年の第1回よりプロデューサーとして活躍(公務としてではなくあくまで個人としての参加)。現在、新作「遠い雨音」(35ミリ)を準備中。

 

 

フィルムコンテスト観客審査員の応募は、7月21日(水)までやってます!!

詳しいことは、東京都あきる野市役所内 あきる野映画祭事務局

電話042-596-1511(内線2542)まで、直接お問い合わせください。

 

 

  Information from A.F.F.

 

 Gateway Index

 

  People

 

  HOME