監督たちへの手紙 「DAY FOR NIGHT」国際郵便局

Letters to the Directors

欧州宛


ポーランドの巨匠アンジェイ・ワイダは、とかく硬派の政治的映画作家と思われがち。その作品のどこがかくも人の心を揺さぶるのか、大ファンであるタイバーン・ヘルミさんが語ります。


 

 アンジェイ・ワイダ様 - タイバーン・ヘルミ

To Andrzej Wajda From Taivaan helmi

 

 

 

LOVE LETTER TO Andrzej Wajda

 

 

私の手元に一枚の映画のチラシがあります。

どこで手に入れたのか、もう覚えていません。

「ポーランド名作映画祭(新宿東映ホール)」

のチラシ、それが初めてのポーランド映画、

そして、アンジェイ・ワイダ監督との出会いでした。

中学生だった私は、『灰とダイヤモンド』の解説文を読み、

勝手な想像をしながら、まだ観ぬ映画に心踊らせました。

その解説文にはこうありました。

 

 かけがえのない青春を祖国に捧げ、時代の流れから阻害された人々への深い共感と追悼が、ここにはある。恋人がマチェックに尋ねる。「どうして、いつも黒眼鏡をかけているの?」「祖国への報われぬ愛の記念さ」……。

 

* * *

 

『灰とダイヤモンド』を観る機会は意外と早くやってきました。日本の国営放送が放映したのです。観ました。若い私は、やけに派手な弾着シーンや仲間を偲んでグラスのウォッカの火を灯すシーンのかっこうよさに魅せられましたが、時代背景や歴史的状況、ストーリーがまるで理解できませんでした。それどころか、主人公マチェクと一夜の恋人クリスティーナとのやりとりが冗長にすら感じられました。

 本屋へ行くと、『灰とダイヤモンド』『地下水道』『大理石の男』のビデオが売られていました。喉から手がでるほど欲しかったのですが、貧乏学生だった私は泣く泣く諦めました。

 

 その後、私は就職し、自由に使えるお金ができました。しかし、今度はビデオが見当たりません。探し回って苦労の末、『灰とダイヤモンド』『地下水道』を手に入れました。帰宅して包装をやぶるのももどかしく感じながら、デッキに『灰とダイヤモンド』のビデオをセットしました。

 

 冒頭で撃たれた男が教会の扉を押し開けながら倒れるシーン、ベッドでのマチェクとクリスティーナの静かな会話、古い墓碑に刻まれたノルヴィトの詩、蜂起で散っていった仲間たちのためにグラスに灯される火、廃墟と化した教会の中で逆さにぶら下がっているのキリスト像、電気スタンドの光で壁に映し出される蛾の影、共産党地区委員長シチュカを暗殺した瞬間に打ち上がる花火、朝日に照らされながら国旗をかかげるホテルのフロント係、ゴミの中で死んでいくマチェク、悲しいながらも美しいシーンの連続でした。

 マチェクもシチュカも立場は正反対ながら、お互いに戦時を懐かしみ、祖国の為にと信じて戦い続け、共に命を落とす。登場する人物は皆、目標に向かって全力で疾走し、その全員が不幸になるストーリー。最後に流れるオギンスキの「ポロネーズ イ短調」の副題は「祖国への別れ」・・・。なにもかもが物悲しく感じました。

 心に葛藤を抱えながら、熱い生き方しか選べなかったマチェク。一人の若者の人生を通して、ワイダ監督の祖国に込めた思いが伝わってくるような気がして、思わず胸が熱くなりました。

 

『地下水道』は、さらに輪をかけて色々な意味で暗い映画でした。なにしろ、最初のナレーションからして

「悲劇の主人公たち、彼らの人生の末期をお目にかけよう」

です。 ……多大な損害を受けながらも、士気だけは無闇に高いザドラ中隊。しかし、その士気すらも打ち砕くような撤退命令。ヴィルチャ街を目指して地下水道の中を這いずりまわり、力尽きていくレジスタンスの兵士たち。劇中、作曲家ミハウの口を借りて語られるダンテの一節、

「……穴の底に立ちて、われ見たり、恐ろしき責苦にあえぐ人々を

 あらゆる怪物汚物がここに集まれり……」

その通りの状況が繰り広げら、まるでパンドラの箱のような映画だと感じました。いや、パンドラの箱どころか、最後の希望すらもすり潰すようなあまりの救いの無さに、強烈な印象が私の心に残りました。

“そういえば、あの「チラシ」にも『地下水道』について書かれていたっけ”

 そう思い出して、部屋中をひっくり返してチラシを見つけ、読んでみました。

 ……私の見方が浅はかであることがわかりました。恋人のヤツェクを抱えた女性兵士デイジーが格子ごしに見たヴィスワ河の対岸。後続があるとウソをつき続けた軍曹を射殺し、「わが中隊は……」と何度もつぶやきながら地獄の地下水道へ戻っていくザドラ中尉。これらのシーンの本当の意味がわかりました。

「なぜ、ソ連軍は、約束どおり、蜂起の支援に現れなかったのか?

 なぜ、ソ連軍は我々を見捨てたのか?」

 この映画にはポーランドという国家の悲しい歴史が詰まっていたのです。しかも、それを表現するために、「画面上に表さずに表現する」という手段を使わざるをえなかった1957年当時のポーランドの政治状況。映画の外にもひたすら悲しい現実があったことを知りました。その現実を突き抜けて、このような映画を撮ったワイダ監督に、私は畏敬の念を持ちました。

 

 

 時が経ち、『鷲の指輪』が日本で上映されることになりました。

“おお、ワイダ監督の新作だ!”

 初めて『灰とダイヤモンド』を知ったときのように私の心は躍りました。当時、私の職場は、公開劇場から離れていましたが、即、前売り券を手に入れ、時間のやりくりをしました。ところが、観覧前日、私は猛烈な風邪をひいてしまい、38℃の熱に浮かれる中、それでも劇場へ足を運びました。私の心の中は“このチャンスを逃してはならない”という思いでいっぱいだったのです。

 上映前にワイダ監督の挨拶がテープで流れたとき、私は「やっとここまで来たんだな」と感慨深く思いました。なにしろ、劇場で監督の映画を観るのは初めてだったからです。

 幕が開き、映画が始まりました。

 

 時代は1944年8月1日、ワルシャワ蜂起の開始の日。冒頭で、三人の女性がポーランドの国旗を翻らせるシーンを観て、ああ、やはりワイダ監督だな、と強く思いました。

 蜂起は市民に大きな犠牲を強いながらも失敗に終わり、ドイツ軍による占領、ソ連軍による解放、ヤルタ会談でのチャーチルの裏切り……、そんな状況の中、国軍と共産軍の権力闘争がエスカレートしていくのがわかります。ワイダ監督は、共産主義の非人間性を、国軍兵士がシベリア送りの貨車に乗せるシーンで表現していたことに気がつきました。監視しやすいようにと跪かされる国軍兵士達、貨車に乗りこむ寸前に、兵士達の中から湧き上がる「聖母マリア」の歌。それを見て涙を流す主人公・マルチン。秘密裏に共産勢力へ侵入し諜報活動を行ったがため、かつての戦友に冷たい視線を浴びるマルチン。裏切りの嵐に翻弄されて全てを失うマルチン、恋人と悲しい再会をするマルチン……。この映画も悲しいシーンの連続でした。これだけでも目頭が熱くなってくるというのに、あのシーンも出てくるのです。『灰とダイヤモンド』の、あのグラスに火を灯すシーンが!

 マチェクがウォッカが入ったグラスに火を灯し、アンジェイが声を上げる。

「ハネチカ! ビルガ! コソブツキ! ルディ! カイテック!」

……。

 私は泣きました。そのシーンからラストまでの間、涙が流れ続けました。初めて『灰とダイヤモンド』を観た日のことを思い出しながら。

 

 

 現在、私には二歳になったばかりの娘がおります。そのため自由になる時間が限られ、映画館に足を運ぶことすらもかなわなくなりました。ワイダ監督の『パンタデウシュ物語』も観に行くことができませんでした。自分の体調が悪かろうともそれを押して観に行くことはできても、子どもを放って行くことはどうしてもできないのです。

 ワイダ監督、どうか、これからも映画を撮り続けてください。私の娘が自分の心で物事を感じ、自分の頭で物事を考え、自分の口でそれを言葉にすることができる年齢になる日まで撮り続けてください。あなたの新作の映画を我が娘と共に劇場で観るという私の夢をかなえさせてください。そのときに、私は、一枚のチラシに心を躍らせた、若かりしあのときの私の気持ちを、我が娘に、どうしても伝えたいのです。あなたの映画を観たあとで・・・。

 

 その日が来るまで、私は生き続けることでしょう

 

 アンジェイ・ワイダ監督、心の糧をありがとうございます。

 

 

あなたの一ファンより。遠く離れた日本から、愛を込めて。

 

 

 

タイバーン・ヘルミ

フィンランド語で「空の真珠」を意味するハンドルネームをお持ちのタイバーン・ヘルミさんは、千葉県にお住まいの雑誌編集者。今回は、かねてからのワイダへの熱い思いをぶつけて書いてくださいました。

 


 

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