私が子供だったころ

 When I Was a Little Child...

 


 

LPデイズ その4

LP Days - Part 4

 

 今回はシリーズ最終回。 前回に引き続き高校時代に出会ったアルバムから2作をご紹介します。

 

エマーソン、レイク&パーマー「四部作」

 前回で取り上げたツェッペリンの「フィジカル・グラフィティ」の項でも書いたように、僕が高校に入った当時ってのは、ブリティッシュロックの沈滞期に相当していたんですよ。それまで精力的に作品発表していた大物たちが軒並み沈黙した時期。ここで取り上げるエマーソン、レイク&パーマーも同様に寡作化しちゃったんですね。

 自身のレーベル「マンティコア」を設立して、「恐怖の頭脳改革」を発表。活動再開したことはしたんだけど、次のアルバム「四部作」までまたしても長い時間がかかっちゃったんですよね。

 ところでイエスとかキング・クリムゾンとかこのEL&Pとかっていうグループは、みんな一括りにプログレッシブ・ロックって言われていたんですよ。これらのアーティストの特徴を乱暴に言ってしまうと、演奏にはシンセサイザーを多用して、アルバムもコンセプチュアルなテーマをぶっ立てた高尚なテーマのもの。音楽的にもクラシックとの融合とかを図ったり…ともかくロックンロール本来のどこか下世話で隈雑なパワーより、そうした芸術至上主義的な姿勢が濃厚だったわけですよ。今こうやって書くと笑っちゃうけど(笑)。だから一曲の長さも異常に長く、歌なんて入ってないことも多い。早い話がどこかクラシックのアルバムみたいな作品づくりしていたと考えれば分かりやすいかも。

 中でもそういうクラシックへの傾倒ぶりが顕著だったのがこのEL&Pで、それというのもキーボード担当のキース・エマーソンが元々クラシックの勉強をしていた人でしたからね。だから作品はいつも超シリアス、オチャラケなし、かつ重厚長大なわけ。

 そんな元々クラシック臭プンプンのEL&Pが、いよいよそのロックの一線も踏み越えちゃったのがこの「四部作」。何でこれを「四部作」というかと言うと、2枚組アルバムの1面づつがメンバー一人ひとりのソロアルバムになってて、実質上EL&PのアルバムなのはD面だけだったからなんですよね。

 で、A面がまずエマーソン・サイドなんですが、モノホンのオーケストラを率いて大マジで自作のピアノ・コンチェルトを延々やってるんですよ。これには驚いた。さらにB面はボーカルとベース&ギター担当のグレッグ・レイクの面。この人はというと、生ギターの弾き語りで全曲埋め尽くしているわけ。どれもこれもエコーをびんびんに効かせたレコーディングで、何だか布施明がシャンソンに挑戦って感じで深刻に「セラヴィ〜」なんて歌ってる(笑)。C面のドラムス担当カール・パーマーの面でようやくビートの効いたロック・ミュージックらしいものが聞けるけど、インストルメンタルが多いから、やっぱりどこかイージー・リスニングなんですよねぇ。ただ、ここでゲストとして当時イーグルスに加入したばかりのジョー・ウォルシュの名があったのには驚きました。そんな交友があったとは全く知りませんでしたしね。それで待ちに待ったD面「庶民のファンファーレ」でようやくEL&Pとしてのまとまった演奏が聞けて、これはこれで圧巻なんですけどもうアルバムはこの面で終わりなんですよね。

 では、このアルバム退屈だったのかと言うと、実はそうではなくて意外に僕は気に入っているんです。それと言うのも、何かやりながら聞くには邪魔にならない音楽だったから(笑)。まさにロック世代のためのイージーリスニングと化したわけですよ。後年エンヤとか聞くようになった自分ですけど、自分の中ではEL&P「四部作」がそうした音楽の先駆に位置付けられているんですね。

 さてこの「四部作」、原題を「Works」というんですが、実はアルバム・ジャケットの上の方に小さく「ヴォリューム・ワン」と書いてあったんですよ。そして、後に本当に「ワークス・ヴォリューム・トゥー」が出てしまったんですね。こっちは本当に寄せ集めみたいなアルバムでしたけどね。

 どちらにせよ、こういう作品づくりをすること自体、EL&Pのグループとしての求心力が弱まっていたのは明らか。この後で「ラブ・ビーチ」というアルバムを発表したのが彼らのオリジナル・アルバムの最後だったと記憶していますが、これが何を血迷ったかEL&Pポップスに挑戦!ってなイメージの作品でした。一曲一曲が短く(笑)、メロディアスで歌もどっちゃり入ってたから驚きです。その後、こうしたプログレッシブ・ロックの残党たちが「エイジア」なんて寄せ集めグループつくったりイエスを再結成したりと、金に目がくらんで見苦しいマネをしましたが、その源流はこのあたりにすでに存在していたんですね。なら最初から、「プログレッシブ・ロック」なんてカッコつけなきゃいいのにねぇ(笑)。

 

ローリング・ストーンズ「ブラック&ブルー」

 ストーンズからオリジナルのリード・ギタリストであるブライアン・ジョーンズが抜けたのは1960年代の終わり。代わりに入ったミック・テイラーも数々の名演奏を残してすっかりバンドに溶け込んだ頃、突然電撃的ニュースが飛び込んできたんですよ。ミュンヘンで新作レコーディングに入ろうとしたストーンズから、そのミック・テイラーが脱退したって言うんですね。そこで後任のギタリスト探しと平行して、なぜか新作のレコーディングも進められたんです。やがて後任にはロン・ウッドが正式に決まりましたが、日頃からのミックやキースとの交友ぶりから考えてとっくに予想はついていたんですよね。そういった事情があって、このアルバムはロン・ウッドが加入して最初のアルバムとして発表されており、ジャケット写真にも彼が正式メンバーとして写っているのですが、実際のレコーディングには半分の曲にしか参加していません。それも、たぶん録音時にはメンバーとしてでなく、ゲスト・ミュージシャンとして参加していたはずです。

 そんな流動的な状況でつくられたアルバム、さぞやそういうドタバタした舞台裏を覗かせるつくりになっているかと思いきや、実はこれがまるでそんな事情を感じさせない。いや、ストーンズの全作品中見渡してみても、これほど成熟や洗練を感じさせるアルバムはないんじゃないかという程の出来映えです。

 まず曲数が片面4曲づつ、合計8曲しかない。これがレッド・ツェッペリンのアルバムでしたら驚くに値しませんが、これはストーンズのアルバムなんですよ。1曲ごとの演奏時間が比較的長く、じっくりしたつくりになっている証拠です。

 そしてストーンズのアルバムと言えば、1960年代アンドリュー・ルーグ・オールダムがプロデュースしていた頃から、1970年代に入ってジミー・ミラーがプロデュースするに至るまで一貫していた音質の悪さ(笑)が、ここで怖いほど改善されているんですよ。僕は、あのモコモコしたサウンドは、昔のR&Bのレコードみたいなプリミティブな効果を出すためにやっているのかと思っていたんですよね。そこまでいかなくとも、かつて進歩や洗練のビートルズってのが一方にあったら、いつまでも変らずにラフなのがストーンズだと。ストーンズってどこか成熟や洗練、完成を拒否するところがあるように感じていたんですよね。

 それがこのアルバムでは、どこまでもサウンドがクリアーでシャープ。演奏もどこか洗練されている。いつもスットコドッコイなドタバタしたドラムスを聞かせる、決してうまいとは思えないチャーリー・ワッツが、ここではハイハットからスネアからピシッ、パシッとキメにキメまくる。やりゃあ出来るんじゃないか…と言うより、そりゃプロのミュージシャンだからやれるに決まってるんですよね。だけどわざとやらなかったんだ。それは、ラフなストーンズのスタイルを守るためにやっていたんじゃないでしょうか?

 ちょっとディスコ・ミュージックを意識した「ホット・スタッフ」から、ヘビーな「クレイジー・ママ」まで、どれもこれも演奏にはいつもの隙がまったくない。エルトン・ジョンの「土曜の夜は僕の生きがい」から、後年シェリル・クロウが「マイ・フェイバレット・ミステイク」で踏襲した、「いかにもストーンズ・スタイルのロックンロール」の典型と言うべき「ハンド・オブ・フェイト」も、いつものユルユルさが陰を潜めていぶし銀のような洗練ぶり。この時にストーンズは、その40年に及ぶ歴史の中でたった一度だけ「成熟」をめざして作品づくりをしたと僕は確信しています。

 その確証とでも言うべきは、極上のバラードである「メモリー・モーテル」。ショービジネスの喧騒に疲れたロックスターと一筋縄ではいかない女との出会いと別れを、何ともホロ苦く描き出したストーンズでも屈指の佳曲なんですが、ここでのキース・リチャーズの珍しいエレクトリック・ピアノの演奏、そして思わずハッと目を見張ってしまうようなチャーリー・ワッツのドラミングには、それまでの、そしてその後のストーンズには明らかにない味わいがありました。歌詞の内容だけではなく、英語が分からないリスナーにも明らかに「追憶」という言葉の意味を改めてかみしめさせてしまうこの曲。ストーンズの曲の中でもかなり完成度の高さを誇るこの曲は、しかし1997年のワールドツアーで演奏されるまで、彼らに顧みられることはありませんでした。

 その後、パンクロック・ムーブメントなどにも敏感に反応したストーンズは、二度とこのような洗練したサウンド、成熟に向かう音楽づくりをすることはありませんでした。そして「完成」を拒否することでその長寿を得たと言えるでしょう。しかし、たった一度だけ彼らが成熟をめざしたあの時、一体彼らの胸中にどんな思いが去来したのでしょうか? この「ブラック&ブルー」、わけても「メモリー・モーテル」の曲を聞くたび、僕はその秘密を分かち合いたいと思わずにはいられません。

 

 

 

 

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