私が子供だったころ

 When I Was a Little Child...

 


 

LPデイズ その1

LP Days - Part 1

 

 最近、久しぶりにCDショップに足を運んでいるんですよ。ずっとご無沙汰だったけど。その理由は、かつてのロックの「名盤」が軒並みCDで復刻されているから。そりゃCDの方が音質もいいし、聞きたい曲に飛べるしで便利ですからね。それらの「名盤」をLPで持っていても、改めてCDで買ってしまうんですよね。

 そう、かつて音楽はみんなLPレコードで聞いた。あんなプラスティックの板をぐるんぐるん回してその溝を針で引っ掻くなんて、今考えてみるとえらく原始的だけどそれが昔は当り前だったんですよね。そんな昔の思い出を引っぱり出しながら、ウディ・アレンの映画「ラジオデイズ」のタイトルアイディアを頂戴して、「LPデイズ」と題して昔のそんな懐かしいレコードの話でもしようと思います。この「私が子供だったころ」シリーズの中では異色の、年齢的にも少し上がって中学生くらいからのお話になります。今回はまずその第一回。ただ、1970年代のロックに夢中って若い人が、これを読んで参考にしようなんてのはやめてくださいね。ここに取りあげる基準は「名盤」とか「ベストセラー」だとかではなく、単に僕の記憶の隅に残っていたってだけなんですから。

 

 なぜ、このエッセイのコーナーでこんな懐かしのレコードレビューを始めるかと言えば、僕のレコード事始めが小学校の6年生に端を発しているからです。前にもお話ししたと思いますが、僕が生まれて初めて買ったレコードはビートルズの「ヘイ・ジュード」17センチ・シングル。これをスリ切れるまで聞いた覚えがあります。

 ではアルバムは? 30センチLPレコードを初めて買ったのは中学1年の時。これまたビートルズで、確か「レット・イット・ビー」のアルバムだったと記憶しています。これもジャケットがボロボロになるまで持ち出して聞いてましたね。

 

ビートルズ「レット・イット・ビー」

 ビートルズのオリジナル・アルバムとしては最後に発表された作品。同名映画のサントラ盤ですが、その映画ってのがスタジオでダラダラとレコーディングするビートルズを撮影しただけのドキュメンタリー映画。映画を見た時に、メンバーのあまりのやる気のなさに唖然としましたね。もっとも、リハーサルやレコーディング中にずっとカメラが回っていたら、そりゃ人間ああもなろうってもんでしょう。それが何よりの失敗だったわけ。

 ところでビートルズのライブって当時は録音が一切公式には発表されてなかったんですよ。だから、海賊盤のコンサート録音モノが出回っているだけだった。これがまた、あの阿鼻叫喚の女の子がキャ〜と喚き散らしているシロモノで、当時はPAもないから演奏なんざ聞こえやしない。だから、ビートルズもてんでいいかげんな演奏なんですよ。そういう「ライブ」ばっかり聞いてたから、僕らはビートルズって生演奏はヘタだって決めてかかっていた。それで奴らはスタジオにこもってダビングばっかやってたんだなって。

 ところがこの「レット・イット・ビー」の映画には、ビートルズがアップルビルの屋上でライブパフォーマンスする場面が登場します。これが結構聞かせるんですよ。演奏始まるまでは「こんな風の強い寒いとこでやりたくない」とか、みんなブーブー言ってたりするんですけど、いざ演奏が始まったらキメるとこはキメる。これにはビックリしました。アルバムはその後、元々の素材に雇われプロデューサーのフィル・スペクターがやたらに手を加えて原形をとどめないまでに厚塗りしてしまいましたが、ライブ素材を元にした「ディグ・ア・ポニー」「ワン・アフター909」「アイヴ・ゴット・ア・フィーリング」などの曲は、この時の様子を忠実に再現しています(「ゲットバック」には観客の歓声がかぶせられていますが、実はテイクそのものはスタジオ・バージョンそのもの)。実は他のアルバムと比べて派手な曲は少ないため、一時はこのアルバムを軽視した時もあったんですが、後からよくよく聞くと結構コクのある演奏でじっくり聞けますよ。

 しかもアップルビル屋上ライブ以外のスタジオ部分は、どちらかと言うとアコースティック楽器を多用した一発録り。これって最近聞かないけど一時期大流行だった「MTVアンプラグド」の原形じゃないですか。ちゃんと全体を掌握できるサポート役の人間がいなかったから全体にヘロヘロな仕上がりになっちゃいましたが、やっぱりさすがビートルズ、ここまで時代を先取りしていたんですよね。

 たかがビートルズなんてバカにすることなかれ。ブリティッシュ・ロックならではの味わいや、当時のニューロックの臭いがプンプンの、いかにもロックバンドらしいビートルズ晩年の演奏を聞き込みたいならばこれでしょう。

 

カーリー・サイモン「ノー・シークレッツ」

 みなさんはカーリー・サイモンっていうと何でご存じでしょうか? 007シリーズ「私を愛したスパイ」のテーマソング、そしてメラニー・グリフィス主演の「ワーキング・ガール」のテーマソングってとこでしょうかね? 僕らの場合は1970年代に大流行だったシンガーソングライターたちの一翼を担った人として、ちょっと頭一つ飛び抜けて感じられていましたね。それと言うのも、この人の当時のダンナというのが、これまたシンガーソングライターとしてかなりの知名度があったジェームズ・テイラーだったから。このお二人オシドリぶりをやたらに発揮して、デュエットもしょっちゅうでしたね。「愛のモッキンバード」っていうヒット曲もある(のちに案の定離婚)。だけど、曲調が地味で、どっちかというとキャロル・キングのお友達って感じから始まってきたジェームズ・テイラーと比べると、カーリー・サイモンはもうちょっと派手な感じがあった。それというのも、この「ノー・シークレッツ」のアルバム以降、リチャード・ペリーという売れっ子プロデューサーと組んだからだと思うんですよね。

 このペリーって人、一体どこらあたりから頭角を現わして来たのか分かりませんが、ハリー・ニルソンとかこのサイモンとか、そしてリンゴ・スターのアルバムプロデュースを手がけて話題を呼んだ人なんですよね。後にはポインター・シスターズを手がけて、その復活に手を貸した。で、この人のプロデュースの特長ってのが、ゴージャスな分厚いサウンドとオールスターキャストなんですよ。え? 映画でもないのにオールスターキャストだって?

 そうなんです、ポピュラー・ミュージックの世界では1970年代から参加ミュージシャンを豪華にして、その名をクレジットすることがアルバムの売りになる時代が始まったんですね。ペリーは顔が広いのかずうずうしいのか、あっと驚くメンツを集めてゲストに呼んでしまうんです。そのオールスターぶりが頂点に達したのが、リンゴ・スターのアルバム「リンゴ」。ここではアルバムの上とは言え、何と解散後初めてビートルズの4人が揃ってクレジットされていますし、それ以外にもザ・バンドだとかT・レックスのマーク・ボランとか、キラ星のごとくスターが大集合していたんですよね。そして実際にレコードを聞きながら、「あっ、いかにもボランのギター!」とか、「ジョンのハモりだよね〜」とか見つけるのが正しい楽しみ方だったのです。

 この「ノー・シークレッツ」もまさにその豪華ゲストがお楽しみ。その最たるものは、ミック・ジャガーの共演でしょう。このアルバムからカットされたシングル曲で、カーリー・サイモン最大のヒット曲にもなった「うつろな愛」に、あのミックが参加しているんですよね。で、これが耳を澄まさなくても実によく聞こえる。僕なんか、この曲が床屋のAMラジオで汚ねえ音で流れてもミックの声が聞き取れるほどです。バックヴォーカルとしてハモるはずが、なぜか前面に出てきて目立ちまくり(笑)。ミックって他人のレコーディングに参加するたびこんな感じなんで、おそらく凄い目立ちたがり屋なんでしょう(笑)。終盤にサビの部分を繰り返してフェードアウトしていくあたりなんか、ミックの声しか聞こえません。演奏も一緒にボリューム下げていってるのに、ミックの声だけ下がらないってのは、一体どうなっているんでしょう(笑)?

 面白いのは、「ナイトアウル」って曲でもう一方の雄、ポール・マッカートニー御大が参加していること。実はコーラス隊としてボニー・ブラムレットなど他にも参加者はいたし、ポールも今は亡き妻のリンダを伴っての参加だったのに、なぜか演奏が始まるとポールの声が目立ちっぱなし(笑)。その目立ちぶりは、「うつろな愛」のミック・ジャガーといい勝負でしたね。しかもポールは途中で「ウォ〜ウォウ」などと勝手にアドリブかませてるからうるさいの何の(笑)。この人も、他人のセッションというといつもこんな状態なんですよね。イヤがられていると思います(笑)。

 まぁ、ともかく大人しめのシンガーソングライターだったサイモンは、このアルバムでロックスター的な風格が出てきた。実際には作品としてこの「ノー・シークレッツ」や「うつろな愛」を超える作品は生みだし得なかったんですが、スターダムは快調に維持したんですね。

 今でも「うつろな愛」を聞くと、この曲を聞いた頃の諸々を思い出さずにはいられません。

 

 

 

 

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