私が子供だったころ

 When I Was a Little Child...

 


 

ジャンボ最後の日

The Last Day of Jumbo

 

 

 先月3月の31日に、僕は朝から羽田空港にいた…といえば、何をやっていたのか分かる人には分かるかもしれない。
 そう。3月31日は、日本の航空会社からジャンボ・ジェットことボーイング747型機が姿を消す日だった。
 すでにJALはジャンボを撤退済み。ANAもこの日の那覇〜羽田便をもって、ジャンボ・ジェットが現役を退くこととなった。もちろん日本に就航している 他国の航空会社には、まだジャンボを飛ばしているところもあるだろう。それに航空会社ではないが、日本の航空自衛隊に「政府専用機」として配属されている 2機のボーイング747-400がある。だから、まだまだ日本の空からジャンボが消えるというのは大げさではあるが、この日を境にだんだん見れなくなると いうのは間違いないだろう。
 僕は「取材」という目的で、この日、羽田にやって来た。取材であることは間違いじゃない。ただ、本音を言えばひたすら個人的に見たかった。
 おそらく「ジャンボ」といえば、誰もがどんな飛行機だかイメージすることができる。世界初の2階建ての旅客機。頭でっかちで特徴的なその機体は、飛行機 に詳しくない人でも「あれがジャンボだ」と言い当てることができるだろう。残念ながら近年の旅客機は、どれもが外見上あまり違いが分からないデザインに なってしまっている。もちろん飛行機マニアみたいな分かる人には分かるのだろうが、普通の人にそれを言い当てろというのは無理だ。ボーイングの飛行機同士 どころか、エアバスの飛行機を持ってきたとしても、どれがどれだか分かる人なんてマレだろう。逆に言うと、それくらいジャンボは「キャラが立って」いた。
 つい先日華々しい話題で就航した直後に、あまりありがたくない話題に包まれてしまった最新鋭機ボーイング787みたいな飛行機でもなければ、こんなに誰もがその飛行機の名称を知っている飛行機はない。
 僕もジャンボが登場した当時のことは、今でも覚えている。
 パンナムが初めてジャンボをニューヨーク〜ロンドン線に飛ばしたのは、1970年1月のこと。そして早くも、同年3月には太平洋線へと投入された。これ が日本におけるジャンボのデビューだ。ところが同年7月に、JALが羽田〜ホノルル線にジャンボを投入。こうしてジャンボはどんどん航空の主流となって いったのである。
 当時の僕は小学校5年生。確かに飛行機は好きだったが、普通の男の子の「好き」程度でしかなかったし、いわんやマニアなんかであった訳がない。それでも ジャンボの「デビュー」は覚えている。この当時、「ジャンボ」は一種の流行語になっていて、テレビ番組のタイトルに付けられたり形容詞としてやたら使われ たりした。まぁ、例えば週刊誌に女性タレントの水着グラビアでも載れば、見出しに「ジャンボなお色気!」ってな文句が躍るというような具合だ。イマドキさ すがにこれは言わないだろう(笑)。
 ただ、先に僕は自分のことを、“普通の男の子の「好き」程度”と書いていたが、それはちょっと正確ではなかったかもしれない。僕は普通の家庭の子だった ので頻繁に飛行機に乗れたわけでもないし、機種に詳しいわけでもなかった。それでも飛行機の話題には敏感だったし、いろいろ気にはしていた。
 1972年に超音速機のコンコルドが日本に来た時、マスコミは「環境破壊だ」などとメチャクチャに叩いていたし、市民団体などが「騒音で子供が泣いちゃ う」などとわめいていたが、僕はそれなんかナンセンスだと思っていたもんねぇ。正直言って元々市民団体とかが好きじゃなかったので、そのくらいで泣くなん てひ弱なガキだ…くらいに思っていた(笑)。子供の頃から、生理的に左はイヤだし右はもっとキライだったんだな。飛行機が好きだったくせに、「翼」とつく 連中がダメだった(笑)。「翼」は「欲」に通ずとでもいおうか。
 閑話休題。それより、いつかコンコルドに乗りたいという気持ちの方が強かった。まさかなくなっちゃうなんて思ってなかった。当時の飛行機の騒音は今の飛 行機に搭載されているターボファンエンジンのそれの比じゃない凄さだったから、確かに空港に隣接している所に住んでいる人からすれば、冗談じゃないレベル だったかもしれない。それでも僕は正直言って、クルマの当たり屋みたいに必要以上にギャーギャーわめいていた、当時のマスコミや市民団体を恨んでるよ。
 いつから飛行機が好きになったのかは、ハッキリ言って覚えていない。小学館の学習図鑑シリーズでも、「地球の図鑑」の次に「交通の図鑑」はお気に入り。 中でもシビれたのは、DC-8のどてっ腹の外壁をむいて中身を見せているイラストだ。当時、怪獣の解剖図が大流行だったが、それと同じくらいこのイラスト が気に入った。だから後年、自分が飛行機の本を作ることになった時には、あれもこれも、出てくる飛行機の外壁をむいてむいてむきまくった(笑)。あれが僕 の飛行機好きの根底にあるのだろうか。
 そんな僕が初めて飛行機を見たのは、たぶん幼稚園の遠足でのこと。羽田空港に行った写真が残っている。そして、この時のことは記憶にも残っている。それ も飛行機の姿とかではない。無茶苦茶うるさいジェット機の騒音の凄さだけを覚えているのだ。そう言ってしまうと、コンコルドを叩いていた市民団体をケナせ なくなりそう(笑)だが、僕は別にその騒音を不快に感じてはいなかった。むしろ、ロック・コンサートにでも行ったかのように興奮していたフシがある。やっ ぱりコンコルドに乗りたかったなぁ。
 そして、ついに飛行機に乗る日がやってくる。それは小学生になってから、母に連れられての北海道旅行の時。乗ったのは確か、ボーイング727だったと思 う。ちゃんと覚えているんだから、やはり興奮していたんだろう。その帰りか別の機会かは忘れたが、YS-11にも乗った。しかし僕は断然ジェット、ボーイ ング727が気に入ったような気がする。「日の丸の翼」に思い入れがある方、ごめんなさい。
 そんなこんなの飛行機への憧れがあったからだろうか、僕が人生の岐路に立った時、「飛行機」が大きな役割を果たすことになる。
 大学4年、これといった進路もキッチリ考えていなかった僕は、周囲に煽られるがままに就職先を決めることになる。映画は好きだがそれを商売につなげるこ となんて考えていなかったし、文章を書いたりするのは得意だったが「物書き」になる術など知らなかった。どうせ自分は普通のサラリーマンになるしかないと 思っていたから、それなりの会社のそれなりの職を探していたのだ。当時は、今ほどひどくはないが就職は「買い手市場」。まして文系の学生には厳しい時代 だった。それでも何とか内定をもらって一安心。12月の説明会の日に他の内定者たちと一緒に、その会社の説明会にイソイソ出かけて行ったのだ。
 ところが、これがいけなかった。どこかにも書いたかと思うが、説明会に集められた「内定者」の数がやたらに多かった。しかもそれぞれの座る席の前に、妙 な冊子が置いてあるではないか。そこにはやたらと説教臭い訓示みたいなモノが書いてあった。何の事はない、この会社は経営者から末端まで怪しげな新興宗教 団体にドップリ浸かっていたのだった。内定者が多いのは、それがイヤさに辞めていく人数を最初から勘定に入れているからだ。そういえば面接の時には貼って なかった標語みたいなポスターが、やたらと廊下や壁に貼ってあるではないか。こいつらは新入社員が決まるまで、ネコをかぶっていたに違いない。それでなく ても新興宗教なんてイケ好かないところへきて、何て汚ねえ奴らだ。先ほど「翼」は「欲」に通ず…なんて言ってたが、「欲」ということから言えばこいつらほ ど欲の皮が突っ張ってる連中はいない。やっとこ就職活動が終わってホッとしていた矢先のこの仕打ちに、僕は目の前が真っ暗になる気持ちだった。
 こうしてもう大学生活も残り少ない4年生の12月、街にはクリスマスソングが流れようとしていた頃、僕はボロボロになって大学の就職課に泣きついたの だった。今からじゃもう無理だろうかと思った僕の前に、就職課の職員の人はいくつかの選択肢を与えてくれた。すがる思いでそれらの会社の情報を見ていた僕 には、もう贅沢を言う余裕はなかった。そして、与えられた選択肢の中から行きたい会社を選ぶための、確固たる理由もまたなかったのだ。結局、時間も限られ ていた中である会社を選んだその理由は、その会社が「航空」に関係していたという一点のみ。
 結局、これが決め手となって航空貨物の代理店に就職が決まったわけだから、人生なんて分からないものだ。
 実はこの会社に働いていた時期はそんなに長くなく、4年ほどで辞めてしまうことになる。しかし、そこから業界紙の記者という「モノを書く仕事」への転換 を果たせたのも「飛行機」関連の仕事に就いたおかげだし、後に航空会社のPR誌の編集に転じることができたのもそのおかげ。さらにコピーライターという仕 事に変わってからも航空会社との縁は切れなかったし、本の編集者として転身してからはドップリ飛行機と関わることになってしまった。人生とは分からないも のだ。
 中でもジャンボとの関わりは深い。初めての海外旅行はジャンボだったし、ある時期、東京〜札幌間を頻繁に行き来していた時、僕は毎月のようにジャンボの 機上の人となっていた。たまには777の時もあったが、ほとんどジャンボだったように思う。その頻繁な行き来を繰り返す間、僕は人生の頂点からどん底への 激しい振幅の渦中にいた。何が幸せで何が不幸か、本当のことはなかなか分からないと骨身に染みて考えさせられた。そして最初の飛行機本を作っている最中、 千歳基地で政府専用機747-400のコクピットに入れてもらった時の興奮たるや。生まれて初めてジャンボの機長席に座って、操縦桿を握った感激は忘れな い。
 今もまた人生リセットとなって、新しい飛行機の本を作る仕事に取り組んでいる。僕の人生の節目節目には、いつも飛行機が出てくる。
 そして、このジャンボの退役だ。
 人生は面白い。昔は自分のことをツイてないとボヤいてばかりだった僕だが、いつの間にか人生にポジティブな気持ちを持つようになった。飛行機は、中でもジャンボは、僕にそんな思いを持たせてくれた乗り物だった。
 そんなジャンボが、少なくとも日本の民間航空の世界から姿を消す。去りゆく巨人機にマスコミが群がっていたが、彼らとて必ずしも仕事仕事で来ていたばか りではないのではないか。テレビ画面や写真ではなく、その姿を自分の網膜に焼き付けたいという思いで来た人たちだって少なくないのではないか。そうやって 自分の脳裏に刻みつけたいと思っていたのではないか。
 僕も、決して忘れはしない。


 

 

 

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