私が子供だったころ

 When I Was a Little Child...

 


 

悲しくてやりきれない

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 どこから書き始めたらいいんだろう。いざ、書き始めてみたものの、何を言ったらいいのか分からない。今回のこの文章はムチャクチャで読みにくいものになっているかもしれないけれど、そこは許していただきたい。

 僕の母方の伯母が亡くなった。この10月16日の金曜日のことだった。栃木のお豆腐屋さんに嫁いで何十年…になるのだろう。ここ数年は病気で寝たきりになっていたとは聞いていたが、母は父の看病に追われ、僕も仕事の多忙でお見舞いに行っていなかった。いや、母に関しては仕方がないことだったが、僕自身については言い訳でしかないだろう。

 そんな僕と母が今年の8月1日にようやく伯母の見舞いに行くことができたのは、皮肉なことに父が亡くなって、家を長く空けることができるようになったからだ。電車に揺られて数時間。やっと辿り着いた母の実家は、何もかも過去の記憶より小さく縮んでいた。

 母方の伯父は、伯母がもう意識もなく、誰が来たかも分からないだろうと僕らに告げた。そりゃそうかもしれない。寝たきりになったと聞いてから、もう数年は経っているはずだ。もっと早く来ていれば…と悔やんでも、もう遅い。

 それでもここまで来たのだ。一目伯母の顔を見ずには帰れない。そうは言っても、僕は正直なところ、伯母の顔を見るのが恐かった。何も分からない植物人間化した伯母を、ここで見たくはなかったのだ。

 伯母は優しいひとだった。東京から夏休みのたびにやって来るワガママなガキを、いつもおいしい草餅の団子をつくって迎えてくれた。僕が一度おいしいと言ったら、それを忘れず毎回つくってくれた伯母だった。

 そんな伯母が何も言葉も言えない状態で、ベッドに横たわるだけの存在になっていたらどうしよう。僕は会いたいと口では言っていたものの、本当のところは恐くて仕方がなかったのだ。

 病室に通されて、横になっている伯母と対面する。確かに伯父の言うとおり、身動き一つしていない。あぁ、僕は結局あの懐かしい伯母さんに、何も言うことができないままオシマイなのか。胸の中に後悔の思いが広がる。

 ところが…どうだ! 僕と母が伯母の腕をつかんで声をかけているうちに、伯母が意識を取り戻し始めるではないか。僕らが自分の名前を名乗ると、そのたびに頷いて反応するではないか。目に涙を溜めて、何かを口走ろうとするではないか。その場にいた伯父が驚いていたのだから、本当に伯母のこんな様子は珍しいのだろう。僕も母もびっくりするやら感激するやらで絶句するばかり。こんなことなら、もっと早く来ていればよかったのに…。

 それでも伯母が意識を取り戻してくれたことに、僕らは感謝感激だった。そして、きっとまた来よう。今度こそは…と思っていたのだ。

 それなのに…。

 まぁ、僕が愚かだったのだ。「また今度」が実現したためしなどない。

 今年は1月に父が亡くなり、7月には母方の叔父が、そして伯母。僕は自分の人生は何も変わらず、すべては永久に続くんだと思っていた。それはまったくの錯覚だったけれど、実際に錯覚なんだと現実を突きつけられなければ分からないことだった。今年はその現実を目一杯突きつけられ、イヤというほど目が覚めた。

 何でこんなにみんな死んじゃうんだ。

 ここ何カ月か、新しい本の仕事で連日朝帰りや徹夜という状態。いつも新しい仕事が始まる時はそんなものだが、今回ばかりはちょっと勝手が違った。

 仕事自体は毎年手がける「おなじみ」モノ。そして他の僕の仕事と違って、多くの人の手を借りなければならない仕事だ。本来、僕は何から何まで自分でやって本を作るのが流儀だが、この本の場合はとても他の人たちの力を借りなければ完成できない。そういう意味では、何となくいつも不自由さと煩わしさを感じてはいたのだ。

 しかも例年内容はレベルアップし、要求は厳しくなる。ラクになることは何一つない。それなのに、なぜか僕のサポートをしてくれる若手は、次々とはぎ取られてしまうのだ。一体これは何なのだろう。

 それでも昨年は何とか頑張って内容をリニューアルし、売り上げもそのせいかかなり改善したのだった。これはさぞかし客も喜んで、こちらへの待遇も良くなってくれるだろう。そう考えたこちらが甘かった。

 客である版元がさらに3人もチェック人員をつけて「厳しくチェックしてやる」という態度を打ち出してきたのが5月頃。それでもまさかこちらの足を引っ張ってくることはしまいと思っていたら、何から何までしつこく絡んできて、すべての作業は停滞。昨年より2週間の余裕があったはずなのに、たちまちそんな時間は使い果たされた。何よりその仕打ちにモチベーションがガクンと落ちた。

 そんな煮詰まった状態で仕事を進めていったが、当然どんどんパフォーマンスは落ちてくる。そして認めたくはないことだが、年令のせいで仕事の効率も確実に落ちているのだった。これはなった人にしか分からない。当然、僕だって分からなかった。自分がそれまで当然のように持っていたものが失われていくことが、どれほど人を追い詰めていくものか。その焦燥感は、若い人には決して分からないものなのだ。分からないから、こんな仕打ちもしてしまうのだろう。

 睡眠不足と疲労の極致で、それでなくても落ちている作業効率がさらに落ちる。間違いが増えて仕事も増える。たった5行の文章が書けずに会社に泊まり込む。ここ何週間かこのサイトを続行できなかった理由は、そんなところだ。

 むろん、無理に遅くまでやっているよりいっそ休んだ方が効率が上がるといわれれば、まったくその通り。間違いなく正論だ。しかし、正論がそのまま通れば苦労はない。そうもいかないほど余裕はなかった。

 いつまで経っても援軍は来ない。このままでは絶対に間に合わない。しかし誰も手を打つ気配もない。わずかながら加勢してくれる人がいないでもないが、どう考えても人手は圧倒的に足りない。だしぬけに僕は、この本を期日までに何とかしようと思っているのは会社内…いや、客も含めて地球上に僕一人ではないかという気になってしまった。一体僕は、カラダをボロボロにして何をしているのだろう。

 ただ、周囲の人間がこれを見たら、何を大げさなことを言っているのかと思うかもしれない。もっとキツイことをしている人間だっていると思うかもしれない。世の中なんてそんなものだ。その通り。大げさなんだろう。大げさなんだろうが、僕が言っていることにウソはない。

 7月に亡くなった母方の叔父も、元々は仕事の過労から来た糖尿病が原因だった。その苦しみながら世を去って行った姿が脳裏をよぎる。

 一方、僕の状態も全然シャレになっていなかった。シルバーウィークの時には夜中に全身寒気がはしって、夜の(というか早朝の)3時に慌てて帰宅したのだった。

 そして悪いことに、僕は昔から少々躁鬱の気があった。

 今までも追い詰められると精神的に不安定になって、会社を衝動的に辞めてきたし上司と喧嘩をしていられなくなったりした。そんなことにはなるまいと、今回の職場では何とか精神的なバランスをとってきたのだ。しかし、それもどんどん怪しくなり始めた。

 アクシデントが増え、人に当たることも出てきた。仕事中に頭痛に悩まされ、背中が痛み、吐き気に苦しめられた。いよいよ手遅れとなりそうな頃にいきなり多くの人々が参入し始め、一気に仕事場は活況を呈してきたが、僕自身はその時すでに抜け殻同然だった。周囲がにぎやかになってくればくるほど、僕はうつろだった。力を貸してくれた人たちはありがたかったが、僕の気力はすでに一線を超えていた。

 何もかも投げ出してラクになってしまいたい。今まで溜めに溜めただけに、これまでになくその気持ちは強くなった。こんな仕事を投げ出したい。職場も投げ出したい…。今までだったらここまでで止まっていたものが、今回はこんなものでは止まりそうもなかった。今やっている映画サイトも投げ出したい。映画を見ることも投げ出したい。友人関係すべても投げ出したい。今住んでいる家も街も投げ出したい。投げ出したい、投げ出したい、投げ出したい。もっとないのか、投げ出せるものは。

 あった…。

 僕は「それ」に気づいてしまったのだ。誰にでも魔が差す時はあるものだと言われるが、それを実際に体験する人は少ないだろう。僕は前に女とのドロドロ関係の最中で、自分が犯罪一歩手前まで行きそうだという恐怖を味わったことがあった。今回はそれに近い状態だったかもしれない。相談する相手もあまりいなかったせいか、煮詰まり方がひどかったのかもしれない。ともかく、かなりヤバイ状況ではあったのだろう。

 そこに飛び込んできたのだ、母方の伯母が死んだという知らせは。

 最初、その知らせは、僕に決定的な打撃を与えたかのように思えた。正直言ってさらに目一杯落ち込んだ。しかし、それと同時に僕のなかで何かが変わった。それこそ、天の助けといえるものだったのかもしれない。僕はいきなり憑き物がとれたかのように目が覚めた。

 僕はおもむろに机から立ち上がると、若い人たちに「後は頼む」と職場を立ち去ったのだった。それは仕事が大詰めを迎えた最中だったが、 今はそんなことに構っていられない。怪訝そうな顔でこちらを見た人物が約一名いたが、そんなものも知ったことじゃない。こんなことで殺されてたまるか。生き延びてこその人生だ。

 死んだら終わりだ。いなくなってしまうんだ。

 夜の9時過ぎに帰宅した僕は、それから泥のように眠り込んだ。それでも用事があったので昼前に目覚めたが、気分はすこぶる快調だった。何より誰よりも早く帰宅して、ぐっすり眠れたのがよかった。こんな当たり前のことが、どうしてできなかったのだろう。ハタから見たらくだらない話だろうが、それでも僕にはとても大切なことだったのだ。

 加藤和彦自殺のニュースが流れたのは、僕がそんな状態だった17日のことだった。

 何だか文章がムチャクチャで整然としていなくて申しわけない。今はただ、気持ちの動くままに書いているので、まるで文章がなっていなくても気にしないで書いている。ただ、そんなタイミングで加藤和彦の死が報道されたのは、何となく偶然のようで偶然でない気がした。

 僕は別に加藤和彦に何の思い入れもない。曲はいくつか知っているが、特にファンだったということもない。そもそも世代が違う(笑)。だから最初そのニュースは、僕にとってどうということもなかった。ただ、加藤和彦の死によってユーチューブ上の彼の過去の曲などのリンクが表示されたりしたので、何となくそのいくつかにアクセスしてみたりした。

 そして、「悲しくてやりきれない」を聞き始めたら、なぜかいきなり涙があふれてきた。

 僕の父、母方の叔父、母方の伯母…そして、自分が魔が差したあの瞬間。

 死んじゃいけないよ。例えどんなことがあっても。死を選ぶ人にはそれなりの理由もあるとは百も承知だけど。みんな死にたくないのに死ななければならないんだ。そして、誰かが死ねば必ず誰かが悲しむ。当たり前のことだけど、その当たり前のことが意外と忘れられている。 

 死んだらオシマイだよ。いなくなっちゃうんだから。 

 

 

 

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