私が子供だったころ

 When I Was a Little Child...

 


 

オリンピック

The Olympic Games

 

 アテネ・オリンピックが終わりました。

 実はこれを書いている今はまだ真っ最中ですが、この一文がみなさんの目に触れる頃には、閉会式も終わりを告げているはず。まずはお疲れさまというところでしょう。

 今回のオリンピックは意外や意外の日本のメダル・ラッシュ。僕はそうそう詳しい事は分かりませんが、前回のシドニーの時よりもかなり獲得数は多いようです。「…ようです」などと曖昧な言い方しか出来ないのは、実はシドニーの記憶はあまりないから。たった4年前ですから覚えていても良さそうなものですが、不思議な事に一番記憶に残っていない大会です。

 実際、僕は熱心なスポーツ・ファンではないので、あまりテレビにかじりついて観戦するという習慣もありません。でも、オリンピックだけは別。これだけは結構熱心に見ている方だと思います。見ていても面白いしね。

 それというのは、おそらく子どもの頃の「ある記憶」が原因だと思うんですよね。

 忘れもしません。何と言っても日本で行われた最初のオリンピック、日本が高度経済成長に乗るキッカケとなったビッグ・イベント…1964年の東京オリンピックでの出来事。

 当時、僕は5歳になったばかり。僕は例によって例のごとく、居間兼母親の仕事場兼食堂の六畳間でテレビを見ていました。何を見るかって?…もちろん東京オリンピックの開会式に決まってます!

 あの日、あの模様をテレビで見ていなかった日本人はいなかったのではないでしょうか? おそらくコソ泥やヤクザだって見ていたはずです。そのくらい、日本にとっては大変な出来事でした。そしてあの開会式の模様は、おそらく日本発で世界に配信された初めてのテレビ映像でしょう。それくらい、何から何まで画期的な出来事だったんです。

 開会式の細かい様子は、今ではもう忘れています。覚えているような気がしたとしても、それは後年になって改めてテレビで見た、あの当時の記録映像でしょう。でなければ、カラーで覚えている訳がない。映像そのものはカラーで放送されていましたが、うちのテレビは白黒。だから当時見た映像は、すべて白黒で記憶しています。

 しかしこの東京オリンピックの開会式では、一つだけカラーで記憶している映像があります。

 開会式イベントの最後は…おそらく航空自衛隊によるものと思われますが…飛行機雲によって大空に描かれた巨大な五輪マークで締めくくられました。国立競技場の上空に、飛行機雲の五輪マークが誇らしげに浮かび上がったわけです。

 その時、僕は思わず窓から身を乗り出してみました。

 当時はどこの家にもエアコンなんてありません。だから真夏は当然のごとく窓は開けっ放し。開けっ放しじゃないと暑くてやってられません。そして扇風機をガンガン回すわけです。それでも当時メチャクチャ暑かったという記憶がないのはなぜでしょう? 暑さを忘れてしまったのか、それとも今の暑さが異常なのか…。

 それはともかく、僕は思わず窓から身を乗り出しました。それは頭上を見上げたかったから。今、テレビには飛行機雲の五輪マークが映っています。それって遙か高い上空につくられた雲ならば、同じ東京のこの我が家からも見えていいはずです。

 すると…その感激は今でも忘れません…国立競技場と同じように、わが家の上空にも五輪マークが浮かび上がっているではありませんか!

 その瞬間、僕はまるで自分が競技場にいるかのような臨場感を感じました。今、自分が住んでいるこの国で、オリンピックが行われている…と心から実感しました。あの感動は理屈じゃありません。あれを超えるリアルな興奮は、東京ドームで1990年に見たローリング・ストーンズの日本初公演ぐらいのものでしょうか。

 実際のところ…その時にテレビで開会式を見た記憶は、幼い頃の他のテレビ映像の記憶とゴッチャになっています。だから、実はケネディの暗殺映像(1963年)とかビートルズ日本公演(1966年)の映像と同じ頃に見たような印象があるんですね。記憶なんて結構曖昧なものです。

 それでも、窓から身を乗り出して見た空の五輪マークは、たぶん一生忘れない強烈なイメージです。

 その後のメキシコ大会(1968年)は印象に残っていません。おそらくあの強烈な東京の後だったからでしょう。次のミュンヘン(1972年)は水泳のマーク・スピッツの活躍よりも、選手村に対するゲリラの攻撃の方が鮮烈に覚えている気がします。そうそう…この当時は冬季五輪も同じ年にやっていて、札幌大会がこの年でしたっけ。笠谷率いるジャンプ陣が活躍したのがこの大会でした。

 ところがこの後長らくの間、オリンピックというとロクな事がありませんでした。あのコマネチが10点満点を連発したモントリオール(1976年)はともかく、その後のモスクワ(1980年)は日本もアメリカなどと一緒にボイコット、次のロサンゼルス(1984年)は報復として共産圏がボイコット…とバカげたやり返しの連続。見ているこっちとしては世界規模の壮大な運動会を見たいんですから、こういうシラケる話が出てくるとやり切れなくなります。僕がテレビでの五輪観戦にかつてほどの熱心さを持たなくなったのも、そんな経緯があったからでしょう。

 そういや、次のソウル(1988年)も、開会式の時に聖火台でハトが丸焼けになった事しか覚えてません(笑)。バルセロナ(1992年)もアトランタ(1996年)も覚えてないなぁ。さすがに冬季の長野(1998年)は覚えているけど、それもJOCの委員だった堤がサマランチとツルんで各国のIOC委員をカネとオンナでタラしこんだとか、そんな話ばっかり。そういやどこかの男性週刊誌に、長野に「タマらんチ」って風俗店があるとかないとか、冗談ともつかない事が書いてあったような気もします(笑)。

 そして2000年のシドニーは…実はあまり見ていません。その頃の僕は、とてもオリンピックどころじゃなかったんですね。他に夢中になっていた事があって、開会式もテレビで見ていたはずなのにそっちのけ(笑)。今になって思えば、少々苦い思い出ではあります。

 そんなこんなで、だんだん最初見た頃の感動が薄れてきたオリンピック。それでもオリンピックが始まるとなれば、なぜかテレビに目をやってしまう。夜中まで観戦してしまう。シラけた顔をしながらも、ついついいいトシして見てしまう。もう、それって条件反射みたいなものなんです。

 それってきっと、あの夏の日の東京の空…真っ青な大空に浮かんだ五輪マークの雲が、いまだに忘れられないからだと思うんですよね。

 

 

 

 

  Gateway Index

  

  Essays

  

  HOME