私が子供だったころ

 When I Was a Little Child...

 


 

マンガブーム

Manga Boom

 

 人間誰しも一度はあこがれて、なりたいって思う職業ってあるもんですよね。例えば色気づいた年頃だったらバンド組んで…って、みんな一通りやってみたことあるんじゃないかな?

 子供の頃なら昔は野球の選手、今ならサッカーのJリーグってとこなんでしょうね。そして分科系の子なら…たぶん一度はマンガ家になりたいと思ったことがあるんじゃないでしょうか?

 ご多分にもれず、この僕もその一人でした。実は絵描きにもなりたかったんですが、それがいつしかマンガに化けちゃった。

 僕が子供の頃は第一次だか第二次だかのマンガブーム。僕らの世代は「鉄腕アトム」以来、雨後のタケノコみたいにテレビに登場したアニメシリーズ(当時はテレビマンガって言ってましたね)を見て育ちました。それらのアニメは残らず雑誌の連載マンガに材をとってて、テレビと雑誌で今で言うメディアミックスのはしりをやってたんですよね。

 手塚治虫、石森章太郎(石ノ森なんてフザケた名前名乗るようになったのは、ずっと後年のこと)、赤塚不二夫、藤子不二雄(当時は2人1組で描いてた)…なんてトキワ荘出身者が第一線でやっていましたっけ。他にも横山光輝、水木しげる、楳図かずお、吉田竜夫などなど…がバリバリ活躍していたんですよ。この人たちのうち消えちゃったのを除けば、後年には大半が青年誌や大人の劇画雑誌にスライドしていくんですけど、当時はみんな子供向け専門で頑張っていたんです。

 ただ僕は他の子みたいに、少年サンデーとかマガジンとかの週刊マンガ誌でコマ切れに読むことはあまりなかったんですね。それだと何となく欲求不満になっちゃうし。だから少々値ははっても単行本になってからお金を貯めて買ったんです。結果的には毎週毎週雑誌買うよりも、ずっと経済的だったんですけどね。そして読めば読むほど自分でもマネしたくなって、見よう見まねでマンガを描き始めたんですね。

 ただ僕はここでもちょっとヘソ曲がりで、これらのマンガのキャラの絵を模写しようとか思ったりはしなかったんです。それでは何となくつまらなかったので、自分のオリジナル・キャラをつくって描いて喜んでた。もちろんケント紙にペンと墨汁なんてプロっぽいマネは出来ません。とにかく手っとり早く描きたかったから、そこらにある紙に鉛筆かボールペン、サインペンなんかでガリガリ描いていったわけです。昔から物事を甘っちょろく考えていて、とにかく我流で始めちゃうのが僕の悪いクセだったんですね(今でもそのまんまでホームページつくってるわけですが)。マンガ入門みたいな本を読もうって気もなかったし。

 でも、当時のマンガってレベル高かったと思いますよ。というのも、ドラマのレベルがすごく高度でしたからね。表現力は今の人の方があるのかもしれませんが、オーソドックスなドラマの構成力は昔から凄かった。…というのも、上に挙げたような第一線作家たちはみんなすごい映画ファンで、そこで得たものをバンバン自作に反映していったんですよ。

 実はここだけの話、モロに映画のパクりというのも少なくなかったんです。「おそ松くん」の別冊だか増刊号だかの番外エピソードの一つに、時代劇仕立てで素浪人のイヤミが盲目の娘トト子ちゃんに男純情で尽くす話があるんですが、これはチャップリンの「街の灯」の完全なる翻案。もっと驚いたのは水木しげるの短編の妖怪マンガ(題名失念)で、これが何とソ連映画「妖婆・死棺の呪い」と全く同じお話なんです。と言うか、この映画はロシアの文豪ゴーゴリの小説の映画化だから、そっちのパクりと言えば言えるんですけどね。でも不思議なことにこのソ連映画のほうが、なぜか水木マンガのタッチだったから面白いですよね。後年、僕が大人になってからミニシアターでこの「妖婆〜」を見て、いかに驚愕したかお分かりいただけると思います。

 つまり当時のマンガって、本人はそれとは知らずとも、僕にとっては映画に向けて開いた大きな窓だったんですよ。

 そして我流でヘタクソなマンガを描いていた僕も何かモノ足らなくなって、ここに音楽が鳴ったら音が出たら、これが動いたら…と思わずにいられなくなったんですね。

 その時、僕は小学校高学年。テレビで盛んに放映される洋画劇場を見て、僕が映画にのめり込むようになるまで、時代はあとほんのわずかのところまで来ていたんです。

 

 

 

 

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