私が子供だったころ

 When I Was a Little Child...

 


 

リンゴ・スター

Ringo Starr

 

 私の映画事始めは、ある意味ではビートルズ映画だったと言えるかもしれません。この事はどこかに書きましたよね。

 正直言って1959年生まれ、ビートルズの活動時期には小学生だった私は、ビートルズ世代と言うにはチトきつい。でも、自分では最後のビートルズ世代だと思っているんですよ。それにはちょっと訳があるんですが。

 彼らが世界的な人気を博するのは、「抱きしめたい」がアメリカのチャートで1位を獲得してから。だから1964年のこと。その時、私はまだ4〜5歳の幼稚園児。これではビートルズも何もあったもんじゃありません。

 当時、私のいとこの姉さんたちは日本で大流行のグループサウンズに夢中で、お正月に親戚の家に行ったときは、テンプターズとかスパイダーズとかずいぶんいろんなグループの追っかけに付き合わされたものです。スパイダースのライブハウスでのコンサートも観せられたけど、当然興味ないから覚えていません。ただ、ドラムの音がすごくて、耳がつぶれそうになったことは今でも覚えていますけど。ショーケン率いるテンプターズは雑誌の節分用の写真を撮るため、どこかの神社で正月に豆まきをやった場面に居合わせました。当然のごとく何もわからない子供だから、頭から豆をかけられて不機嫌だったことは言うまでもありません。

 で、いとこの姉さんたちは同時にビートルズにも夢中。これは当時の若者の必携アイテムだったのでしょうね。あの武道館における彼らの日本公演にも行ったようで、そのパンフレットは今私の手元にあります。よく行けたな…と今なら思いますけど、たぶん何かコネがあったんでしょう。今だって、映画の試写会とかスターの舞台挨拶っていうと、なぜかいつも簡単に行けちゃう人とかいるでしょう?

 実は彼らの日本公演のテレビ放映を、私は幼心に観た記憶があるのです。当時私は小学校1年で6歳。でも、たぶん最後まで観ないで、チャンネルを回しちゃったでしょうね。

 その後、ラジオで「ヘイ・ジュード」とか「オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ」とかを聞いて好きになった記憶がありますが、これがビートルズとは思っていなかったはず。

 では、ビートルズをビートルズとして認知した最初の時はいつかと言えば、小学校の6年生の時。テレビの洋画劇場で「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!」を放送した時のことです。

 これは衝撃的でした。最初はボケ〜ッとモンキーズみたいだな…と思ってましたけど(笑)、すぐにその魅力のとりこになりました。私が誰かをカッコイイと思った最初の瞬間ですね。何か人を食ったユーモアがあるのもイケてました。これからの男はギャグの一つも言えなければ…とマジメに思いましたよ。

 で、同級生の家に行って、彼の兄貴が持つビートルズのレコードを無断でかけまくりましたっけ。すると、例のカッコイイ彼らの写真のレコードジャケットだけでなくて、何かヒゲづらで思索的、哲学的な表情の4人組の写真もあるではないですか。これもビートルズなの? 180度違ってる! それに気づいた時、私は自分ではそうとは知らずに、レッド・ツェッペリンやクリームなど当時のニューロックの洗礼を受けるまであと一歩の地点まで、一気に行ってしまっていたのでした。で、最初は楽しい「恋する二人」がいいと思っていても、すぐに「アビーロード」のアルバムには、子供にはわからない何かがあると漠然と思い始めたのです。それは、何かエロ本の存在に気づいた時のような、危険な誘惑。もちろんビートルズですから無害なものですが、それでもドラッグやってるぞ〜と言わんばかりのヒゲづらは、当時の小学生には挑発的に感じたものです。

 そこまで行かなくても、初期ビートルズにはなりたいと思った! なるためには、やっぱり英語でしゃべる彼らが観たい! それでおこづかい握り締めて中学1年の時にビートルズ大会観に行ったのが、自分でお金払って映画観た最初なんですよ。

 で、ここからが前にもどこかで書いたように、いかにも私らしいんですが…人気者ジョンやポールにはなれないと思った私。でも、リンゴ・スターにだったらなれるかもしれないと思ったわけですね(笑)。ジョージになるのはヴェジタリアンになるのも女房寝とられるのもイヤですから問題外(笑)。だから、ドラムの練習をしようと心ひそかに誓ったのです。でも、実物ないから練習にならないんですけどね。

 考えてみると、大学に入って何を血迷ったかバンドに入ってドラムスを演ることになったのも(演奏のあまりのひどさに続きませんでしたが)、コピーライターになって自分を少しでも利口そうに見せようとヒゲを生やしてみたのも、どこかビートルズの影響が多少なりともあったんでしょうね。

 リンゴってポジショニングとしては確かにビートルズの中のナンバー・フォーだったのかもしれない。でも彼のキャラってビートルズの中では決して地味ではなくって、むしろ光ってた。彼らの主演映画なんて、いつもリンゴが主役だったんですから。そのへん同じ4人組でも、先頃解散したSPEEDとは訳が違います。僕はあの変な髪型にして一番かわいくなかった、踊りだけやってる子なんかになりたくないですもん(名前忘れた)。

 後年、女に「最初からリンゴをめざすなんて理想が低すぎる」と呆れられたこともありましたが、まずリンゴを目標に置いたことこそ、実は私の最大の野心的な戦略だったのでしょう(笑)。

 しかし、ビートルズで私が最も衝撃的だった事件は、ある新聞記事を見た時のことでした。それは、私がビートルズ熱に取りつかれて間もない頃のこと。

 イギリスの裁判所で、ビートルズのパートナーシップの解消が決定された…とその記事は伝えていました。つまり、彼らの解散。私は彼らに追いつくとほぼ同時に、彼らを見失ってしまったわけです。呆然としましたよ。

 私が最後のビートルズ世代を名乗る理由は、この時の無念さにとどめを刺すのです。 

 

 

 

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